星野源(40)と新垣結衣(32)が5月19日、結婚を発表した。新垣は公式サイトで「皆様に私生活についてこのような報告をする日が来るとは」と素直な心境をつづった。自分を応援してくれたファン、関係者への思いがあふれた。

16年のTBS系ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で共演したことがきっかけでゴールインした。同ドラマは、“プロの独身”を自認する津崎平匡(星野)が雇用主。大学院を卒業したが就職全敗の森山みくり(新垣)が従業員という関係で、家事労働に給料を支払う「契約結婚」の様子をコミカルに描いた。従来の婚姻制度や性別による役割分担など呪縛のような価値観から「恥ずかしい逃げ方だったとしても、生き抜くことが大切」と教えてくれた2人の結婚を、誰もが祝福した。新時代を反映した、まさに相思相愛の「職場結婚」だった。

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過去にさかのぼると、国民的な俳優や歌手も共演をきっかけに結婚している。その代表が昭和の大スター石原裕次郎さんとまき子夫人だ。まき子夫人は人気女優・北原三枝として、56年に映画「狂った果実」で裕次郎さんと初共演した。「太陽の季節」で銀幕デビューしたばかりの裕次郎さんは、既成の秩序にとらわれない“太陽族”の青年を、北原相手に見事に演じた。裕次郎さんは「君の名は 第二部」(52年)に出演していた北原を見て、ファンになっていた。

2人は「俺は待ってるぜ」「嵐を呼ぶ男」「錆びたナイフ」「陽のあたる坂道」など23作品で共演した。当時、トップスターの交際はご法度だったが、60年1月に2人はアメリカにお忍びで渡航。映画会社の帰国の説得にも応じず、ついには結婚を認めさせたという話は有名だ。組織や慣習に抗ってまでも、突き進んだ2人を、ファンも関係者も応援した。同年4月に、裕次郎さんは「結婚するとすればマコ(北原の愛称)以外は考えていない。オレの素直な気持ちだ」と結婚宣言。8カ月後の同年12月3日に、東京・日活会館で挙式した。記事によると、制限されたにもかかわらず、112社、224人の取材陣が殺到した。まき子夫人はその後引退し、裕次郎さんを陰から支え続けた。

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三浦友和と百恵夫人も歴史に残る共演ゴールインだった。歌手・山口百恵と三浦友和の出会いは74年のCMが最初で、同年の映画「伊豆の踊子」で初共演した。ノーベル賞作家の川端康成原作で、孤独や憂鬱(ゆううつ)から逃れるために旅に出た青年が、旅先で純粋無垢(むく)な踊り子に恋心を抱くが、悲しい別れの結末となる。百恵さん15歳、友和22歳だった。次作は三島由紀夫原作の「潮騒」で、美しい海を背景に、苦難を乗り越えて愛を成就させる漁村の男女の姿を描いた。以後も「絶唱」「風立ちぬ」「春琴抄」「古都」など数々の文芸作品で共演した。百恵さん主演の13作品中、12作品で友和と共演し、愛を育んだ。

そして、79年10月の大阪でのリサイタルで、百恵さんが「私が好きな人は、三浦友和さんです」とファンに公言した。翌年80年11月19日に百恵さんは21歳で結婚した。披露宴の模様はテレビで生中継され、30・3%の高視聴率を上げた。百恵さんは結婚を機に、スパッと芸能界を引退。1度たりとも公に姿を現していない。その生きざまは「伝説」となっている。

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昭和から平成にかけて、芸能人カップルは結婚会見を行い、披露宴はテレビで中継された。まだネットがない時代で、会見やテレビでの中継がファンへの幸せの報告でもあった。歴代の中継で、87年の郷ひろみと二谷友里恵さんの披露宴が47・6%で最高だった。

今は星野と新垣のように、結婚発表はまずファンに最初に報告したいとSNSを通じての公表が一般的になった。いずれにせよ、芸能人カップルの結婚のニュースはどんな時代でも、みんなの気持ちをほっこりとさせてくれる。コロナ禍であっても、それは変わらない。【笹森文彦】

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