俳優の千葉真一(ちば・しんいち)さんが、19日午後5時26分、新型コロナウイルス感染による肺炎悪化のため、千葉・君津の病院で82歳で死去した。

千葉さんは2003年3月に、日刊スポーツの紙面インタビュー「日曜日のヒーロー」に登場。還暦を過ぎながら、孤独に耐え、思うように仕事に恵まれない中で、果敢にハリウッドの映画界進出に挑戦する様子を語っていた。また、長男・新田真剣佑、次男・眞栄田郷敦と海岸などで過ごす時間が楽しみという、父親の顔もみせていた。以下、当時の記事で振り返ります。

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名優ゲーリー・クーパーにあこがれ、高倉健の言葉に感銘し、米国永住を決意してから来年で10年。俳優千葉真一(64)は、米ハリウッドへの本格進出を実現させるために奮闘中だ。日本のアクションスターの元祖ともいえる男が、孤独感にさいなまれた日々を乗り越え、俳優だけでなく、プロデューサー、監督として成功するための準備を着々と進めている。

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圧倒的な存在感をオーラと呼ぶことがある。ある研究によると、肉体の代謝が盛んなほど強いオーラが発せられるという。日ごろの鍛錬が影響する。「よろしく」。低く、ややかすれた独特の声の千葉を目の前にして、そんなことをふと思い出した。

「トレーニングは毎日やってますよ。今住んでいるロサンゼルスのマンションにはジムもプールもあります。毎日泳いだり、中庭を走ったりね」。浅黒い肌はつやもよく、大きな目は生き生きしている。「休み? ないですねえ(笑い)。強いて言えば日米を往復するときの飛行機の中がそういう時間かな」。

ハリウッド進出に本腰を入れるため、9年前に米国の永住を決意した。その数年前から米映画に出演する機会はあったが「仕事の時だけ出かけても仲間には入れてくれない」と、自宅をロスに移し、グリーンカード(永住許可証)も取得した。昨年はハリウッド女優ユマ・サーマン主演のアクション映画「キル・ビル」(クエンティン・タランティーノ監督)のアクション指導も担当。出演もした。並行してプロデュースを目指す作品の脚本執筆や、大手スタジオとの交渉なども行う多忙な日々を送っている。

「中学、高校のころによくアメリカ映画を見てたんですよ。ゲーリー・クーパーにあこがれてね。男同士の友情、男の戦い。共感したなあ。父が空軍のパイロットで、厳しく育てられてましたから、そういう男たちを見るとものすごく感動したんです」。

その感動が俳優を志す直接のきっかけではなかったが、東映入りして人気俳優となったある日、忘れかけていた少年時代の感動を呼び起こされた。東映の大先輩高倉健と将来について話していた時だった。「ハリウッドの世界まで入り込めて、初めて一人前だ」。あこがれの先輩の、その言葉を聞いた瞬間、身震いがした。当時のアクション映画に不満を抱き始めていたころだった。「そうですよね、健さん。やっぱりあそこに行かなきゃいかんですよね。おれ絶対にハリウッドに行きますよ!」。あまりの興奮ぶりに健さんも少し驚いていたという。

岡田茂東映社長(当時)に「海外で勝負させてください」と話したが「まだその時期ではない」と断られた。その後、映画やドラマ出演、若手俳優の育成などに追われ、周囲にはあきらめたように見えた。

「とんでもない。絶対に行ってやる、と思い続けてましたよ」。

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水面下のアピールや、主演映画の評判などで、90年ごろから米映画の出演依頼が届き始めた。女優野際陽子と94年に離婚し私生活も一変し、胸に秘めてきた米国永住を決意。単身ロスに乗り込んだ。

「英語が分からないから冷や汗と脂汗の毎日。撮影現場でいつも『エクスキューズ・ミー、ワン・モア・タイム』です(笑い)。話せない悔しさはあったけど、恥ずかしさはなかった。必死にやってりゃ通じます。(周囲に)ハリウッドでやってくると言ったし、もう後へは戻れないと自分を追い込んだ。しんどいですけど、苦しみの後、必ず花が咲くと思ってますから、頑張れる。ある意味まともじゃないよね(笑い)」。

撮影現場では強気でいられたが、1人アパートに帰って眠る夜、孤独感に襲われた。「今だから言えますけど、一時は毎晩、本当にいやな夢を見た。内容はいつも同じ。自分がどこかに置いてきぼりにされて落ちぶれていくんです。アメリカに来て、今まで一緒だった人たちと何年も会えなくなっている状況に対する危機感を反映していたのでしょう。毎朝起きてから1時間ぐらいボーッとしてました。夢に反発しましたよ。そうは行くか! うるせえ! ってね。でもこのまま1人でいたらダメだとも思った。それで再婚したんです」。

野際との離婚後に本格的な交際を始めていた夫人と96年に結婚したが、悩みはつきなかった。出演作品のほとんどが、日本でも未公開の低予算映画だった。「なかなか気に入った仕事はもらえなかった。苦しかった。いい仕事がないってことは生活が困るということ。思うようなお金が入ってこない…」。

ハリウッドを離れ、香港映画や日本のテレビドラマなどにも出演した。家族を支えるためだ。それでも人脈を広げる努力は続け「パルプ・フィクション」などで知られるタランティーノ監督らと親交を深めた。同監督の5年ぶりの新作「キル・ビル」への参加は今後に向けて大きなステップになったようだ。

「実はもう1つ、ビッグな映画が決まったんです。その準備にこれから追われそうです」。アジアの俳優がハリウッド映画に出演しやすいようにエージェントの設立プランも進行中だという。「猿の惑星」「ターミネーター3」などを撮影したロス市内のスタジオに事務所も構える。「俳優としてはあと4、5年。あとは監督やプロデュースをしていきたい。今まであきらめようと1度も思わなかった。桃栗(くり)3年柿(かき)8年って言いますけど、千葉は10年かかったね(笑い)」。

夫人と2人の息子と4人暮らし。「午後3時になると6歳の息子が学校から帰ってくる。一緒にサンタモニカの海岸を歩いたり自転車に乗ったりね。子供と一緒にいる時が一番楽しいね」。

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「肉体は俳優の言葉」。千葉が大切にしている信念である。「喜怒哀楽はこの肉体が表現する。だから俳優にとって肉体は一番大事なんです」。69年に俳優養成所「JAC(ジャパン・アクション・クラブ)」を設立し、若手俳優の育成に心血を注いだ時も、この信念を指導の根幹とした。

「志穂美悦子が中学3年生のころ、ウチに来た時、真っ黒で足も太くて本当にイモねえちゃんでねえ(笑い)。でも悦子とお母さんに話したんです。ここに荒れ放題の土地があるとしましょう。根っこを取り、石を取り、水をまいて、肥やしを使えば、やがていい土地ができる。そうなればあとは何を植えてもすぐ育ちます。いいか、悦子、芝居の勉強なんてせんでいい。まずは肉体のトレーニングをしろってね。土地が肥えていれば何でも育つように、鍛錬された肉体はどんなものも素早く吸収できるんです。踊りもアクションも発声も、何でもすぐ覚えちゃいますよ」。

JACでは、呼吸法なども徹底的にトレーニングする。激しい運動をした直後でもきちんとセリフを言える腹式呼吸をマスターさせる。寝かせた生徒の腹の上に乗って、ジャンプしながらセリフを言わせたりもした。JACは、志穂美悦子をはじめ、今やトム・クルーズ(42)と共演する真田広之や、堤真一、伊原剛志ら数多くのスターを輩出した。

JAC設立は、日本の映画やドラマのアクション撮影への不満が原因だった。アクションスターとしての地位を不動にした人気ドラマ「キイハンター」でさえ、不満だらけだった。大学時代に体操競技で五輪出場を目指した経歴もあり、アクロバット的なアクションなどすべて自分でこなしたが、相手はいつもスタントマンだった。「2人を一緒に映すことができない。これじゃちっとも面白くない。本人がやるからお客さんは感動するんですよ。だからアクションもできる俳優を育成しようと思ったわけです」。

今もアクションに対する情熱は衰えていない。かつての人気時代劇を18年ぶりにリメークした映画「新・影の軍団」(4月25日ビデオ発売)にも服部半蔵役で主演。迫力ある演技と華麗なアクションを披露している。「飛んだり跳ねたりするだけの忍者ものではありません。忍びの精神、忍者集団の成立過程は米国でも必ず受け入れられる題材だと思います」。

常にハリウッドを意識する。その姿勢が必ず成功に結びつく。そんな確信を得ているような、自信に満ちた表情でこう言った。「おれは必ず成功してみせる。日本のみなさん、待っていてください」。

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〇…今年1月に死去した深作欣二監督は、千葉にとってかけがえのない師匠であり盟友だった。深作監督のデビュー作「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」(61年)が千葉の映画初主演作。以後2人は「柳生一族の陰謀」「魔界転生」など17作品でコンビを組み、ヒットを連発した。通夜にはロスから駆けつけ、男泣きした。

「まだ1人でロスに住んでいたころに、わざわざ来てくれてね。そのころまだ自炊をしていたので、自分で作った料理を食べてもらったんです。『おい、いつの間にこんなに料理がうまくなったんだ(笑い)』って言われましたよ。滞在中は、映画の話をたくさんしました」。

その後、千葉と親交が厚く、深作監督を尊敬するタランティーノ監督のもとを2人で訪れ、3人で映画をつくる約束もした。「ここ2〓3年はずっとその映画の企画を進めてきた。これは面白い映画になりそうだって思っていたら…」。

無念の思いは日に日に強まったが、「いつまでも悔やんでいられない」と、ある決意を固めた。深作監督が志半ばで倒れ、撮影が一時中断した映画「バトル・ロワイアル?」のメガホンを父の遺志を引き継いでとっている長男健太氏に白羽の矢を立てた。「決めたんです。健太にやってもらいます。もう約束もしました。ハリウッドで撮れるように絶対に何とかします。僕は深作欣二に育てられた。だから今度は健太を映画監督として育てなきゃいけないんです」。千葉らしい恩返しの方法だ。

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映画「新・影の軍団」で共演した友人の俳優松方弘樹(60) むちゃくちゃ仕事熱心な方です。しかも弱音を吐いたところを聞いたことがない。映画の現場では、遅刻もしなければ、現場から早く自宅に帰ることもない。まじめなんですね。本当に頭が下がる思いです。もう1つかなわないことがあるんです。僕は割と交友関係は広い方なんですが、千葉さんは僕以上に友達が多い。だれとでもすぐに友達になるんですよね。ホントうらやましい。ハリウッドにポンと挑戦できちゃうのも、気さくな性格と、この交友関係の広さなんでしょうね。