フジテレビ系トークバラエティー「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)は、今年4月に前身から29年目の放送に突入した。プロデューサーを務めるのは、同局「オレたちひょうきん族」の“ひょうきんディレクターズ”の三宅デタガリ恵介としても知られた、三宅恵介エグゼクティブディレクター(73)。テレビ業界歴52年目の三宅さんに、あれこれと聞いててみた。
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1981年(昭56)10月にレギュラー放送が始まった「オレたちひょうきん族」。横澤彪プロデューサーの横澤班に属する5人の“ひょうきんディレクターズ”は番組にも登場、82年には「ひょうきんパラダイス」でレコードデビューした。
「僕は三宅デタガリ恵介で、あとは佐藤ゲーハー義和、永峰アンノン明、山縣ベースケ慎司、荻野ビビンバ繁。佐藤と永峰は『THE MANZAI』のディレクター。佐藤は演芸畑が長くて、お笑い芸人に精通していました。永峰と山縣とは、僕は一緒に『スター千一夜』をやっていました。荻野は音楽班が長くて『ミュージックフェア』をやっていました。80年10月に横澤さんが、平日昼の帯バラエティー『笑ってる場合ですよ!』を始める時に、ディレクターが各曜日1人必要だからと、荻野を引っ張ってきました」
「ひょうきん族」では5人のディレクターが、自分の得意分野を担当した。
「僕は『笑ってる場合ですよ』でツービートの曜日担当だったから、ビートたけしさんの『タケちゃんマン』。『ミュージックフェア』出身の荻野は『ひょうきんベストテン』。『THE MANZAI』の佐藤は演芸ライブのコーナーを担当しました。新しもの好きの永峰は、オープニングのナレーターに『スネークマンショー』の伊武雅刀さんを起用したり、エンディングテーマにシュガー・ベイブの『DOWN TOWN』を選んでEPOさんに歌わせたりね。山縣は連続テレビ小説『朗読の部屋』を担当と役割ははっきりしていました。それぞれ違った個性があったから、面白いものを作れたんだと思います」
ハチャメチャな出演者、個性的な“ひょうきんディレクターズ”をプロデューサーとしてまとめていたのが横澤さんだった。
「横澤さんは、プロデューサーとして、対外的なことは全部やってくれました。まあ、当たり前と言えば当たり前なんだけど。だから、いろいろな取材も受けていた。内部の人間からすれば『また。こんなこと言っちゃってるけど大丈夫かな』っていうところもあったけど、プロデューサーとして外に向けての宣伝はしっかりなさってた方でした。だから、番組の中身に関しては、我々が一生懸命やらないといけない。横澤さん自身は中身に関しては一切おっしゃらなかったですね。おっしゃらないし、外からも言わせなかったですね」 (続く)
◆三宅恵介(みやけ・けいすけ) 1949年(昭24)2月5日、東京都生まれ。慶大経済学部卒業後、71年にフジポニー入社。「欽ちゃんのドンとやってみよう!」「笑っていいとも!」「ライオンのいただきます」「タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフ」「あっぱれさんま大先生」「ライオンのごきげんよう」などのディレクターを務める。80年フジテレビに転籍。81~89年の「オレたちひょうきん族」では「ひょうきんディレクターズ」の「三宅デタガリ恵介」としても活躍。90年からクリスマス深夜放送の「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」では、今も演出を務める。04年4月スタートの「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)では番組開始からプロデューサー。09年の定年退職後もフジテレビに嘱託のエグゼグティブディレクターとして在籍。千代田企画社長。



