歌手高橋真梨子(73)が25日、最後となる全国ツアーの最終公演を故郷の福岡で行った。1979年(昭54)から40年以上も続けてきたライフワークをこの日で一区切り。歌うことに人生をささげ、歌手人生50年の節目を迎えている歌姫は1度、音楽を離れてリフレッシュの時をもうける。「引退じゃないから安心して」とファンとの再会を誓いながらマイクを置いた。

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オープニング曲の「ありがとう」からファンの大きな拍手が会場に響き渡った。「今日がツアー最後のステージになります。みんなありがとう。本当にありがとう」。普段は言葉数の少ない高橋だが、この日ばかりは何度も感謝の言葉を繰り返した。

体力への負担が大きいことなどから、40年以上も続けてきたライフワークの全国ツアーに終止符を打とうと決意。当初は20年6月にスタート予定だったが、コロナ禍で延期を余儀なくされ、始まったのは22年1月。福岡公演は昨年9月に開催のはずが台風接近に伴う悪天候のために順延。そのため、くしくも故郷でファイナルを飾ることになった。

大好きだった父のジャズ奏者・森岡月夫が、病気のために37歳で早世したショックなどから少女時代に笑顔を失った。「でも音楽と出合い、歌うことが私の生きる道になったんです」。14歳から博多でボーカルの勉強を始めた。16歳でジャズ歌手を目指して上京したが18歳で帰郷。中州のナイトクラブで歌っているところをスカウトにきたのが「ペドロ&カプリシャス」のリーダーと、後に結婚したヘンリー広瀬氏(79)の2人だった。「私はもう1回東京へ行き、いろんな人に出会いました。そして、今ここにいることができるのは、ファンの皆さんのおかげです」。73年にレコードデビューし、78年のソロ転向後も広瀬氏はフルート奏者などとして高橋と同じステージに立ち、公私にわたって支えてきた。「24時間、音楽のことを考える生活を半世紀すごしてきました。ここで1度音楽を離れて2人でもう1回、人生を見つめ直します。でも、僕たちは音楽とは一生離れられないんじゃないかなとも感じています」と妻の心境を代弁した。

約2時間の公演のフィナーレを飾った曲は高橋が作詞を手がけた「The Road」。歌詞に「いつでも感謝してる みんなに感謝してる」とある。あらためてファンに素直な思いを伝え「ツアーはこれで終わるけれど、引退ではないので安心して。今年と来年は休んで再来年はまた歌うかも。皆さんにまた会いたいし元気をもらいたいから。いつ再会できるか分からないけど、前向きに生きていきたいと思います」と笑顔を見せた。

この日、高橋は大きな節目を迎えたが、昭和・平成・令和の3つの時代を走り続けてきた歌姫の音楽ロードは続く。

○…高橋は、レコードデビュー50周年を記念したアルバム「高橋開店50周年」を3月8日に発売する。コンサートを中心に歩んできた半世紀の歌手人生で、ステージ上で歌唱した回数トップ15曲を収録。また、11月の東京国際フォーラム公演の模様を音源化したライブアルバム「Last Tour LIVE!our Days」も同日に発売する。

◆高橋真梨子(たかはし・まりこ)本名・広瀬まり子。1949年(昭24)3月6日生まれ。福岡出身。プロのジャズ奏者だった父の影響で14歳からジャズを学んだ。72年にペドロ&カプリシャスの2代目ボーカルとなり「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」などがヒット。78年にソロ転向。代表曲に「桃色吐息」「はがゆい唇」「for you…」など。NHK紅白歌合戦にはソロで5回出場。血液型A。

◆公演回数 79年の初ソロコンサート「ひとりあるき」から今回の「Our Days」まで、全国ツアーは41年で2805回を重ねた。これに単発のスペシャルライブ19本、313本のディナーショーを加えると計3137回。トータルの観客動員数は730万人を超える。

<高橋すごいメモ>

▼日本人唯一 「音楽の殿堂」と呼ばれる米カーネギー大ホールで、日本人で唯一3回公演(93、08、16)を開催。複数回を実施したアーティストは高橋のみ。

◆コンサートの女王 2000人以上収容の大規模ホールで、年間25公演以上を79年から19年まで41年も継続した女性ソロ歌手は高橋のみ(20、21年はコロナ禍で中止)

▼主題歌25曲 オリジナル307曲中、「ごめんね…」など150以上で自ら作詞を手掛け、ドラマや映画の主題歌になったのは25曲もある。