新潮社は1日、3月28日に71歳で亡くなった坂本龍一さんの最後の著作「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」(2090円、税込み)の書影を発表した。同書は21日に刊行する。

坂本さんは「新潮」22年7月号から今年の2月号まで、闘病の様子を交えつつ09年以降の活動を自らの言葉で振り返る自伝「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を連載。死生観とともに最晩年までの活動が語られた同書のカバーに採用されたのは、ニューヨークの自宅の庭に佇むピアノの写真だった。

「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は先日、文庫化された「音楽は自由にする」を継ぐものとして、死期を悟った坂本さんサイドからの提案で始まった企画。音楽制作から舞台芸術への参加、政治的発言まで多岐にわたる活動を支えてきた哲学、そして吉永小百合やBTS・SUGAをはじめとする著名人との交流など、盟友の鈴木正文氏を聞き手に、ここでしか読めないエピソードを多数、披露している。

坂本さんは14年に中咽頭がんを患い、寛解したものの、21年1月には直腸がんの治療を公表。22年6月7日発売の「新潮」7月号でステージ4で両肺に転移した、がんの摘出手術を21年10月と12月に受けたと明かした。また直腸がんの公表から1年で直腸の原発巣と数カ所の転移巣を摘出する20時間に及ぶ外科手術など、大小6つの手術を行ったことも明かしていた。

書影に採用され写真に写ったピアノと出会ったのは、15年のこと。前年に最初のがんである中咽頭がんが発覚し、療養のため米ハワイを訪れた坂本氏は、現地の風土にひかれて、勢いで中古住宅を購入した。そこに置かれていたのが、今から90年近くも前に作られたという、このピアノだった。

住宅自体はすぐに手放してしまったが、この古びたピアノとは別れがたく、ニューヨークへ持って帰ることにして、以来「自然に還すための実験」と称して、自宅の庭で野ざらしのままにしてきたのだという。次第に塗装も剥がれ、本来の木の状態が剥き出しになっていくこのピアノの姿に、坂本氏は自らの身体の変化を重ねていたのかもしれない。ほかにも東日本大震災後の「津波ピアノ」との出会いなど、本書には自然と人間のあるべき関係を考察したエピソードがいくつも登場する。

なお、表紙を開いてすぐの本扉には、ピアノの写真と同じくZakkubalanの撮影による、生前の坂本氏が大変気に入っていたという「満月」モチーフのアートワークをあしらった。

新潮社は、5月16日に刊行を発表した際、連載開始時と完結時に坂本さんが寄せたコメントも再度、発表した。今年1月6日付で出した完結時のコメントの中で、坂本さんは「もちろんこの先も命が続く限り、新たな音楽を作り続けていくつもりです」と断言。亡くなる2カ月前も、音楽の制作に強い意欲を見せていた。コメント全文は、以下の通り。

【連載開始時】夏目漱石が胃潰瘍で亡くなったのは、彼が49歳のときでした。それと比べたら、仮に最初にガンが見つかった2014年に62歳で死んでいたとしても、ぼくは十分に長生きしたことになる。新たなガンに罹患し、70歳を迎えた今、この先の人生であと何回、満月を見られるかわからないと思いながらも、せっかく生きながらえたのだから、敬愛するバッハやドビュッシーのように最後の瞬間まで音楽を作れたらと願っています。そして、残された時間のなかで、『音楽は自由にする』の続きを書くように、自分の人生を改めて振り返っておこうという気持ちになりました。幸いぼくには、最高の聞き手である鈴木正文さんがいます。鈴木さんを相手に話をしていると楽しくて、病気のことなど忘れ、あっという間に時間が経ってしまう。皆さんにも、ぼくたちのささやかな対話に耳を傾けていただけたら嬉しいです。(2022年6月7日)

【連載完結時】2020年の末、自らに残された時間を悟ったぼくは、生きているうちにしておかなくてはいけないことをリストアップしました。そのひとつが、『音楽は自由にする』以降の活動を自分の言葉でまとめておくことでした。少々慌ただしいスケジュールだったけれど、聞き手の鈴木正文さんにも助けられながら、間もなくリリースされる『12』までの足跡を振り返ることができ、今はホッとしています。連載は完結しますが、もちろんこの先も命が続く限り、新たな音楽を作り続けていくつもりです。(2023年1月6日)

◆坂本龍一(さかもと・りゅういち)1952年(昭27)1月17日、東京都生まれ。東京藝術大大学院修士課程修了。1978年『千のナイフ』でソロデビュー。同年、YMOの結成に参加。1983年に散開後は『音楽図鑑』『BEAUTY』『async』『12』などを発表、革新的なサウンドを追求し続けた姿勢は世界的評価を得た。映画音楽では『戦場のメリークリスマス』で英国アカデミー賞音楽賞、『ラストエンペラー』でアカデミー賞作曲賞、ゴールデン

グローブ賞最優秀作曲賞、グラミー賞映画・テレビ音楽賞をはじめ多数受賞。『LIFE』『TIME』といった舞台作品や、韓国や中国での大規模インスタレーション展示など、アート界への越境も積極的に行った。環境や平和問題への言及も多く、森林保全団体「more trees」を創設。また「東北ユースオーケストラ」を設立して被災地の子供たちの音楽活動を支援した。2023年3月28日逝去。