「アホの坂田」で親しまれたお笑い芸人、坂田利夫さん(本名・地神利夫=じがみ・としお)が29日、老衰のため、大阪市内で亡くなった。吉本興業が30日、発表した。82歳だった。通夜、葬儀告別式は近く近親者のみでとり行う。

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坂田さんは、劇場や仕事場を離れると、物静かな紳士と化した。芸人仲間でも「素顔のとっちゃん(坂田さん)は、アホから二枚目に変身する」ことで知られていた。

取材、インタビューに答える際も、言葉を慎重に選びながらゆっくりと答えていた。舞台で見せる「アホ」は、あくまでも舞台でのこと。そのあたりは、しっかりけじめをつける人だった。

坂田さんの母、地神サカエさんが1998年(平10)に出版した「息子はアホやあらへん」には、少年時代や若手だった当時の秘話が多数紹介されている。

坂田さんが中学1年で、弟が小学5年生、妹が小学校に入学した当時。決して裕福とはいえない家庭の事情を察した坂田少年は「ぼくらの分はええ。妹に給食費をもたせてやって」と母親を気遣ったという。

その妹は「とっちゃんに怒られたことはなかった。誰かとけんかするのも見たことなかった」と振り返っている。妹思いで穏やかな人柄だったことがうかがえる。

高校卒業後、1度はサラリーマン生活を始めた坂田さんだが、やがて「吉本に入りたい」と家族に打ち明ける。きっかけは喫茶店のテレビで見た吉本新喜劇。放送のなかで「新人タレント募集」の文字を見つけ、本人が応募した。

無事に新喜劇入りしたが、初めてもらった給料はサラリーマン時代から半減していたという。この頃、仲良くなったのが同じ新喜劇に在籍していた西川きよし・ヘレン。きよし夫妻が結婚後に入居したアパートには、いつも坂田さんがおしかけ、3人が「川の字」で眠ったこともあった。これは、きよしも後年、懐かしそうに思い出話として話していた。

きよしはひと足先に漫才コンビ「横山やすし・西川きよし」として大成功。きよしの勧めで坂田さんも「コメディNO・1」(相方は前田五郎さん)として67年、漫才デビューに至った。72年には「アホの坂田」がレコード化され、大ヒット。「坂田=アホ」が広く定着していく。

若かった頃は、住居も転々とし、坂田さん本人も「ラブホテルで寝泊まりすることもあった」と話したことがある。この当時の“ラブホテル仲間”に、間寛平がいた。実質「住所不定」の状況が続いたが、寛平が78年に結婚し、マンションを購入して、やっと落ち着いた。

坂田さんは、寛平から見ても「家族同然」の関係だった。独身を貫いた坂田さんを、晩年、何度も見舞って励ましたのが寛平。最後も、親族とともにみとった。

良き友人に恵まれ、誰からも愛された坂田さん。アホの坂田、永遠なれ。【日刊スポーツ元芸能担当=三宅敏】