今月2日に演歌歌手三丘翔太(32)が、横浜市開港記念会館で開いたデビュー10周年コンサートを取材した。16年1月のデビュー曲「星影の里」から最新曲「華のひと」など全23曲を熱唱した。今年1月いっぱいでマネジメント業務を停止した佐藤企画から、リルキア エンターテインメントに移籍して、最初の大きな仕事を無事にやり遂げた。
三丘のデビューの1年ちょっと前、14年秋に佐藤企画の佐藤宏榮社長から「今度、演歌の歌手をやるからね、よろしくね」と電話が来た。佐藤社長はお笑いコンビ、コント55号のマネジャーとして萩本欽一(84)と故坂上二郎さん、両方のマネジャーをそれぞれ務めたお笑い界、芸能界の重鎮だ。なぜ演歌を、と思っていると「まぁ、僕の趣味みたいなもんかな」と笑っていた。
そして、マネジメントを始めたのが記者と同い年の演歌歌手西方裕之(64)。放送作家の高田文夫センセイ(77)に作詞を依頼して「おやじのたそがれ」という新曲を出すという。西方が、高田センセイがパーソナリティーを務めるニッポン放送「ラジオビバリー昼ズ」にゲスト出演するので、番組終了後に2人をインタビューしてくれと、佐藤社長から依頼が来た。
生本番を聞きながら話していると、佐藤社長が「昔、高田センセイの連載をしていたよね」と言ってくれた。日刊スポーツ紙上では、長らく高田センセイの連載を掲載させていただいたが、始まりは95年1月開始の連載「楽屋の出来事」。第1回に取り上げたのは、バウバウで人気絶頂の松村邦洋(58)だった。後に連載は高田センセイ自らの原稿になるのだが、最初の頃は「なんか面白いと思う芸人いませんか」というインタビュー。いわゆる“聞き書き”だったのだが、それを担当させてもらっていた。
今なら、聞いた記者の名前も「構成」ということで載るのだが、当時はなし。それでも、お笑い界の重鎮の佐藤社長が、20年も前の署名のない仕事を知っていてくれたことにうれしくて舞い上がってしまった。
14年当時は、作曲家の佐村河内守氏(62)と、実はゴーストライターとしてその曲を作っていた新垣隆氏(55)の「ゴーストライター問題」が大きな話題になっていた。調子に乗った記者は、つい口を滑らせて「そうなんですよ、僕は高田センセイのゴーストライターだったんですよ」と言ってしまった。
佐藤社長は笑ってくれたのだが、だんだんと不安になって来た。生本番が終わり、高田センセイと西方が待っているスタジオに入るなり謝罪した。「センセイ、すみません。佐藤社長が昔の連載をほめてくれたので、つい『僕は高田センセイのゴーストだった』と言ってしまいました」と事情を説明した。叱られるかと思ったが、高田センセイは、あの大きな目玉をギョロリとこちらに向けて「面白い、いいね」と笑ってくれた。若い頃から常々言われていた「面白おかしく、ホントかどうかは気にするな」という教え通りの成り行きにホッとすると同時に、みんなで大笑いした。
その後は三丘を16年のデビューから担当させてもらった。新曲の取材に行くと、作詞家の名前がライバル紙OBの大芸能記者だったりと、いろいろな場面で佐藤社長にお世話になった。もちろん東貴博(56)や片岡安祐美(39)、そして大御所の欽ちゃん、萩本の取材では骨を折っていただいた。
ダラダラと長く芸能記者を続けているが、佐藤社長の決断はすごく参考になった。考えさせられることも多かった。三丘とは「頑張っていくことが、佐藤社長への恩返しになる」と誓い合った。残り少ない記者人生を、お世話になった人への感謝を忘れずに全うしたい。【小谷野俊哉】



