<2007年5月29日付、日刊スポーツ紙面から>

 90年代に隆盛を極めた音楽ユニットZARDのボーカル坂井泉水(さかい・いずみ)さん(本名・蒲池幸子=かまち・さちこ)が27日午後3時10分、脳挫傷のため急死していたことが28日、分かった。40歳。坂井さんは昨年6月に子宮頸(けい)がんを患い、1度は快方に向かったが肺転移が認められ、今年4月に再入院。今月26日早朝、入院先の東京・信濃町の慶大病院の非常階段から転落し、後頭部を強打したことが死因だった。10月の新アルバム発売を目指し、病室での楽曲制作や写真撮影を進めていた矢先の死だった。

 坂井さんは、両親と親族数人にみとられ、息を引き取った。関係者によると、転落後は最期まで意識が戻らなかったという。遺体は28日までに都内にある実家に戻った。事務所スタッフは「仕事で両親と一緒の時間が少なかったので、今は家族水入らずの時間を過ごさせてあげたい」と自宅前で立ち尽くし、肩を落とした。

 警視庁四谷署によると、坂井さんは26日午前5時40分ごろ、肺がん治療で入院していた5階建ての慶大病院1号棟にある非常用らせん階段のスロープ(高さ約3メートル)から転落。駐車場のコンクリートで後頭部を強打し、あおむけに倒れているところを通行人に発見された。

 転落時の目撃者がいないため、四谷署は事故と自殺の両面で調べている。所属事務所は「最近の日課だった散歩を終えて病室に戻る途中、前日の雨の影響で足を滑らせた」と説明。「3メートルの高さは自殺で飛び降りる高さではない」と話す捜査員もいる。発見時は外出用の服装。親族に近い関係者によると、遺書はなく、病室のベッドには脱ぎ捨てられたパジャマがあった。身辺整理の跡もなく、自殺の兆候はないという。

 だが、スロープの床から手すり上部までは約1・2メートル。足を滑らせて転落するというのはやや不自然だ。四谷署も、手すりを乗り越える形で転落したとみており、詳しい経緯を調べている。

 世間を揺るがした突然の悲報。同時に、がんの闘病中だったことも公になった。昨年6月に極秘で子宮頸(けい)がんの手術を受け、入退院を繰り返していた。子宮全摘出手術を受け一時は快方に向かったが、今年3月に受けた検査で肺への転移が認められた。嫌煙家で飲酒も好まず、健康管理に気を使っていた坂井さん。不条理な現実に直面したが、気丈だった。度重なる発病にも「しっかり治して、秋に新作(アルバム)を発表したいね。全国ツアーもやりたいよね」と前向きだった。

 放射線、抗がん剤治療で肺がんも確実に縮小し、体力回復のため、病院の敷地内を精力的に歩いていた。10月発売予定だった同アルバムの写真撮影も進められ、制作途中の楽曲も多数あった中、誰も予期できない悲劇が待っていた。

 坂井さんはモデル活動を経て91年に歌手に転身した。93年に「負けないで」が約164万枚を売り上げ、翌94年には、センバツ高校野球の入場行進曲になり、音楽の教科書にも採用された。以後ヒットを連発、90年代に最高の輝きを見せた女性歌手の星だった。93年のオリコン年間売り上げチャートで総合1位を獲得。日本の音楽界の頂点に立ち、毎年、NHK紅白歌合戦の出演依頼があった。

 メディア露出を極端に避ける手法が奏功し、神秘性でブレークした。年齢も非公表。音楽番組は93年のミュージックステーション出演が最後。単独ライブも99年のアルバム購入者イベント、04年3月の初全国ツアーと生涯2回だけだった。

 通夜は今日29日、告別式は翌30日に密葬で営まれる。東京・六本木の所属事務所リレーションズ、大阪・北堀江のGIZA

 studioには記帳、献花台が設けられ、多数のファンが別れを告げた。お別れの会も後日、開かれる予定だ。

 ZARDは、作詞とボーカル担当の坂井泉水さんを中心にしたプロジェクトで、ほかに固定メンバーはいない。そのため、ZARD=坂井と表現するケースもある。テレビ出演もライブも数えるほどの機会しかないため「坂井さんが存在しないのでは」と、まことしやかなうわさが飛ぶほどだった。

 90年にB,zやTUBEのプロデューサーだった長戸大幸氏と坂井さんが出会い、91年2月に「Good-bye

 My

 Loneliness」で歌手デビューした。翌月には早くも同名の初アルバムを発売。さわやかな歌声とメロディーでたちまち人気グループに躍り出て「負けないで」「揺れる想い」「マイ

 フレンド」の3作がミリオンを記録。アルバムも9作がミリオンをマークし「揺れる想い」と「OH

 MY

 LOVE」がダブルミリオン。シングル43作の累計は約1751万枚で歴代女性歌手2位(1位は浜崎あゆみ)、アルバム17作の累計は約1870万枚で女性歌手歴代5位の記録を残した。

 坂井さんは、ZARDとしての活動以外にも、作詞家としてほかのアーティストへ詞の提供を意欲的に行い、森進一「さらば青春の影よ」では、演歌との異色コラボレーションで注目を集めた。歌声だけでなく、抜群のルックスと、学生時代に陸上部で鍛えた美脚にファンも多く、長嶋茂雄巨人終身名誉監督は、93年発売の「果てしない夢を」にゲストボーカルとして参加。99年発売の写真集「ZARD

 ARTIST

 FILE」ではメッセージを寄せた。音楽活動以外では、97年に東京国税局から4000万円の申告漏れを指摘され社会面をにぎわせたこともあった。

 坂井さんは1967年(昭42)2月6日、神奈川県生まれ。県内の短大卒業後、都内の会社で働いていたOL時代にスカウトされて芸能界入りした。当初は本名の「蒲池幸子」として、写真集を出版するなどタレントとして活躍した。岡本夏生とともに、日清カップヌードルレーシングチームのレースクイーンを務めるなどモデル活動を行っていた。だが、学生時代に見たライブで「自分も何かを人に伝えたい」と感激。その熱い思いが忘れられずに歌手を志した。

 ◆子宮頸がん

 子宮の入り口である子宮頸部にできるがん。40歳以上の女性の2~3%が発症している。最近では20代、30代での発症も増えている。初期は無症状だが、進行すると不正出血や下腹部痛が現れてくる。また、性感染症ヒトパピローマウイルス(HPV)の感染者に、高い確率で発症していることが分かっている。HPVは性交経験のある女性ならだれでも感染の可能性がある。HPV検査と細胞を採取して検査する細検査の併用で、子宮頸がんの予防は可能と言われている。

 「負けないで」

 ふとした瞬間に

 視線がぶつかるしあわせのときめき

 覚えているでしょうパステルカラーの季節に恋したあの日のように輝いてるあなたでいてね負けないでもうすこし

 最後まで走りぬけてどんなに離れててもこころはそばにいるわ追いかけてね

 はるかな夢をなにが起きたって

 ヘッチャラな顔してどうにかるなるサと

 おどけてみせるの今宵はわたくしと一緒におどりましょう今もそんなあなたが好きよ忘れないでね負けないでほらそこに

 ゴールは近づいてるどんなに離れててもこころはそばにいるわ感じてね見つめる瞳