偶然の一致だが、今年のボクシング界は世代交代年になった。拳を交えたスーパーフェザー級の元世界王者が、7月に1日違いで引退を表明した。記憶と記録に残る2人だった。

 三浦隆司を初取材したのは09年、日本王座に3度目の挑戦の時だった。初挑戦は小堀に負け、再挑戦は矢代に引き分け、再戦でダウン応酬の末に雪辱の王座獲得。喜びのあまり幼なじみと結婚宣言し、トレーナーから「本当に大丈夫?」と冷やかされていた。まだ横浜光ジムで、初々しい地方出身青年の印象だった。

三浦隆司
三浦隆司

 11年の世界初挑戦では内山高志からダウンを奪うも逆転負けした。心機一転して帝拳ジム移籍には驚いた。当初は日本王者だった叔父の薦めで、帝拳ジムに体験入門した。初の高校6冠で同期の粟生が注目され、いつしか姿を消したと聞いていたからだ。

 ジムに一番長くいる選手だった。多くは2時間程度だが、三浦は4時間近いこともあった。バーベルを素手でコツコツたたく姿が印象的だった。普段もリングでも外見にこだわりなく、世界をとっても同じトランクを使った。東北人らしく多くはしゃべらず。寡黙な野武士のような風貌にも好感が持てた。

 内山の世界初挑戦の時は勝てないと思った。体制が問題だった。洪トレーナーが渡辺会長と意見が合わず直前にジムを離れた。急きょチーム内山を結成。役割分担して一丸で支えたが、デビューから指導していた元アマ韓国代表の穴は大きかった。王座奪取は内山のさまざまな能力の高さあってのもの。大人だったのを見落としていた。

 ワタナベジムは来る者を拒まないおおらかムードだが、内山がいると緊張感が出る。トレーナーは同じアマ出身者が多いがいずれも年下。何事も内山が一番熟知していた。拓大では荷物番をやらされた屈辱もあり、特に体育会系の日常の自己と周囲への厳しさが原点、原動力だった。

内山高志
内山高志

 練習を始めるには、1回3分の間は入り口で待つルールがある。インターバルになると「お願いします」とあいさつして入れる。昔はなかった内山流のけじめ。合宿所も荒れがちだったが、内山が入寮してから規律が確立され、寮生が集合してロードワークなども恒例になったと聞く。

 どこのジムも練習中は1回3分、休憩1分のタイマーを鳴らす。昨年だったが、タイマーがだいぶ古くなり、休憩1分がだいぶ短くなっていた。「スタミナがつく」の声も出ていたが、内山は「時間の間隔を体に染み込ませないといけないのに」と怒っていた。しばらくしてタイマーが新品になった。

 ボンバー・レフトとKOダイナマイト。乱立気味で世界王者の価値観が薄れる中で、個性的ボクサーとしての存在感があった。何よりも強打は魅力があり、たっぷり楽しませてもらった。【河合香】