初場所で初優勝を平幕で飾り祝福ムードに包まれる栃ノ心(30=春日野)。2月は巡業がないだけに、各種イベントに引っ張りだこ。もちろん稽古も欠かさないから忙しいこと、この上ない。それも優勝力士しか味わえない“特権”。嫌な顔一つ見せず取材やインタビューに応じている。

 そんな栃ノ心が少しばかり、もどかしそうに話したことがある。それはある意味、角界の懸案事項ともいえることだと感じた。

 2月14日、日本記者クラブで開かれた記者会見。スポーツ界に限らず、旬の人を招き広くメディアを通じて、人となりを発信していく場だ。その質疑応答で、開催中の平昌(ピョンチャン)五輪での選手の活躍について聞かれた時だ。自分が小さい時からサンボや柔道で汗を流したことに触れ、オリンピアンには「国のためにも自分のためにも頑張ってほしい」と話し、さらに続けた。

 栃ノ心 私の国には、相撲ではないけど柔道、サンボで体の大きい人はいっぱいいる。その中には、相撲界に入りたいという人もいるけど、協会の決まりで1部屋に外国人は1人しか入れない。今の状態は、ほとんどの部屋に(外国人力士が)入っている。だから(今の状態では入りたくても)入れないのかな。

 栃ノ心によれば3年ほど前に、母国ジョージアから角界入りを志願し2人が来日し、2カ月ほど滞在したが夢かなわず、やむなく帰国したという。

 栃ノ心 今も相撲界に入りたいという人がいる。でも、なかなか入れない。入っていない(=外国人が在籍していない)部屋があれば入れてあげたいけどね。

 現在、力士総数約650人のうち約5%を占める外国出身力士。初場所番付でみれば、関取衆は約27%の19人を占める。1934年に平賀(日系米国人)が角界初の外国人力士として初土俵を踏み、以来、曙と武蔵丸の両横綱らを輩出したハワイ出身の米国勢、前人未到の40度優勝の白鵬らモンゴル勢、さらに大関に君臨した琴欧洲、把瑠都ら欧州勢も角界隆盛の一翼を担ってきた。

 1部屋の人数制限は、92年から2人まで(全体で40人以内)、02年からは1人だけに限られた(10年からは日本国籍を取得した者も「外国出身力士」として1部屋1人までに制限)。その規約も、そろそろ門戸拡大にかじを切ってもいいのではないか。拙速ではない、緩やかな改革の1つとして。

 角界に“外国人アレルギー”があっても不思議ではない。取材を通じて、日本の美徳とは離れた立ち居振る舞いを感じることもあった。それは入門の際、相撲とはかくあるべきもの…と徹底的に教え込み、機を見て各師匠が言い聞かせればいいのではないか。前述した「日本の美徳とは離れた立ち居振る舞い」は一部の力士に感じたことで、むしろ高見山から始まり、栃ノ心にも感じる“日本人らしい外国人”の方が多かったような気もする。国際化せよ、などとはいわない。日本の伝統文化を発信する懐の深さも公益財団法人として、あってもいいのではないだろうか。【渡辺佳彦】