首脳陣に驚きの光景が映った。7月19日、合宿初日。キャッチボールで栗原が距離を広げていく。相手は柳田。右脇腹痛を抱えながら、力強い遠投を描いた。

同17日の球宴で違和感が走った。同18日にMRI検査を受け「骨には異常がない」と広報発表。筋肉の損傷の有無が記載されていない。実際は重傷ではないが、無傷ではなかった。脇腹の負傷は繊細だ。緊急で入れ替えの検討もされた。

だが柳田の回復と断固たる意思は想像を超えた。手綱を引かなければいけないほどだった。稲葉監督は同28日の開幕戦ドミニカ共和国戦のぶっつけ起用を示唆したが、同25日の巨人戦にはスタメン出場していた。

五輪では6番で打率2割5分。目立つ数字はない。それでもドミニカ共和国戦で9回1死からサヨナラの起点となり、決勝トーナメント初戦の米国戦では9回に同点の内野ゴロを転がした。「クリーンアップがもう1つ機能している。ギータ、キク(菊池涼)、村上で1、2、3番ができている」(稲葉監督)。柳田がいなければ不振の鈴木誠を4番で使い続けられたか。相手の警戒レベルが低い8番村上に金メダル弾が生まれたか。表裏一体の結果だった。

一方で投手で大きなポイントは追加招集の伊藤と千賀だった。伊藤はチームでは先発だが、侍ジャパンでは中継ぎ。救援なら最終候補に残った楽天松井が本職だ。先発の大野雄を除けば岩崎が唯一の左腕で松井の価値は高いと思われたが、ルーキー右腕を選択した。

大学日本代表でも守護神を務めていたが、伊藤の救援適性は抜群だった。韓国に指摘された“追いロジン”でも「いつもより多めに付けるくらいでいった」と心臓に毛が生えていた。

千賀は4月に左足首靱帯(じんたい)を損傷。内定発表には落選した。だが中川の辞退で急変。1軍復帰寸前まで回復していた千賀に白羽の矢が立った。ファームで2度登板での招集には首脳陣の間でも意見が割れた。選出を決定後の1軍ロッテ戦では10失点の大炎上。楽天との強化試合でも精彩を欠いた。切り札とは言えない状況に陥った。

開幕戦前日、千賀は炎天下で延々と投球を繰り返した。他の投手陣が引き揚げたが田中将が捕手の後方に回り、観察。言葉を交わし、ゆうに30分以上は投げ込んだ。突貫だったが「田中さんにアドバイスをいただいた」と表情が和らいだ。

首脳陣も1次リーグは起用に踏み切れなかった。だが決勝トーナメント初戦米国戦で投入。復調した剛腕が“ゴースト”と化したフォークで2回5奪三振。決勝でも完封をつないだ。

瀬戸際に立っていた侍が攻防を制した。5連勝だったが薄氷の戦いを重ねた結晶だった。【広重竜太郎】