ホーム 東京オリンピック2020 フェンシング ニュース RSS フェンシング フルーレ日本は銅獲得ならず 世界ランク1位米国に敗れる [2021年8月1日19時30分] 通知ON 通知OFF 日刊スポーツをGoogleでお気に入りに追加 フェンシング男子フルーレ敷根崇裕(2019年6月撮影) <東京オリンピック(五輪):フェンシング>◇1日◇男子フルーレ団体◇千葉・幕張メッセ 敷根崇裕(23=ネクサス)西藤俊哉(24=セプテーニホールディングス)松山恭助(24=JTB)とリザーブ永野雄大(22=ネクサス)の日本が銅メダルを逃した。3位決定戦で世界ランキング1位(日本は6位)の米国と対戦。31-45で敗れた。この種目では、太田雄貴が08年北京五輪の個人で獲得した銀メダル、太田やUberEats(ウーバーイーツ)のアルバイトで有名になった三宅諒らが12年ロンドン五輪の団体で取った銀メダルが最高成績。それに次ぎ、銅としては初のメダル獲得を目指したが、わずかに届かなかった。それでも、開催国枠で出場し、準決勝に進んで4位に入賞した成績は評価に値する。今大会は、初戦の準々決勝で世界ランク3位のイタリアに逆転勝ち。第2ピリオド(P)から第8Pまでリードされる苦しい展開ながら、1点ビハインドの39-40で迎えた最終の第9Pに主将でアンカーの松山が逆転。45-43とした。その相手は、個人の前回16年リオデジャネイロ五輪金メダリストで、今大会は銀メダルのダニエレ・ガロッツォだった。個人4位の敷根、長野県出身で世界選手権銀メダルなどの実績がある西藤も粘って貢献した。準決勝では、世界3位でリオ五輪銀メダルのフランスに惜敗。第8Pを終えて8点ビハインドの32-40で最終Pに入ると、松山が1点差の42-43とする驚異の追い上げを見せた。しかし最後は力尽き、計42-45で3位決定戦に回っていた。7月30日には男子エペ団体が、日本フェンシング界の悲願だった初の金メダルを獲得した。松山はツイッターに「すごい!凄すぎる優勝!俺らも金メダル欲しいですが、まずは初戦のイタリアに全てをかけて戦います。一歩づつメダルに近づけるよう頑張ります」と投稿。「日本人でもフェンシングで勝てることを証明してくれた日だ!悔しい気持ちもありますが、心からおめでとうございます!!」(ともに原文まま)と祝福しつつ、先を越された複雑な思いを包み隠さず、刺激を受けていた。その松山に率いられ、競技最終日に出陣した日本の“お家芸”男子フルーレ。今大会2つ目、種目では通算3つ目となるメダルは逃したものの、平均年齢23歳の若いチームが24年パリ五輪へ自信を深める自国開催五輪となった。【木下淳】◆フルーレ 胴体が有効面。先に腕を伸ばして相手に向けたり、先に前進したり、剣をたたいたりした選手が攻撃の優先権を得る。同時に突いた場合、優先権を持つ選手に得点が入る。権利は相手の剣を払ったりすれば奪い返せる。世界では優先権がなく全身どこを突いてもいいエペが主流だが、日本では体格差のハンディを解消しやすく、細かい手先の技術や駆け引きで勝負ができるフルーレを普及させてきた歴史がある。 ◆敷根崇裕(しきね・たかひろ)1997年(平9)12月7日、大分県生まれ。元日本代表の父裕一さんの指導で剣先を下げる独特のスタイルを習得。高校2年で日本代表に選ばれた天才肌で16年の世界ジュニア選手権で個人、団体の2冠を達成した。17年にシニアの世界選手権で銅メダル。19年のアジア選手権も2冠。東亜学園高から法大。家族は両親と兄。血液型B。◆西藤俊哉(さいとう・としや)1997年(平9)5月29日、長野県箕輪町生まれ。フェンシング選手だった父繁さんの運営クラブで5歳から始める。16年世界ジュニアの団体優勝。17年世界選手権で前年リオ五輪優勝のガロッツォ(イタリア)を破って銀メダル獲得。同年の全日本選手権で初優勝。鋭いフットワークと駆け引きが武器。178センチ、72キロ。血液型AB。◆松山恭助(まつやま・きょうすけ)1996年(平8)12月19日、東京都台東区生まれ。4歳から競技を始め、小学校5年で代表入り。東亜学園高時代に太田雄貴以来のインターハイ個人3連覇を達成した。早大では世界ジュニア選手権やユニバーシアード団体で金メダルに輝く。同年の日本選手権も初制覇した。180センチ、75キロ。血液型B。◆永野雄大(ながの・ゆうだい)1998年(平10)10月15日、茨城県水戸市生まれ。同じフルーレで92年バルセロナ五輪に出場した父義秀さんの勧めで小学校1年から競技を始める。帝京高時代にジュニアの国際大会で表彰台に数多く立ち、中大時代の19年には全日本選手権で初優勝、20年準優勝で三宅諒らとの東京五輪代表争いを制した。172センチ、73キロ。血液型A。