男子50キロ競歩で谷井孝行(32=自衛隊)が、五輪と世界選手権を通じて日本競歩初の表彰台となる銅メダルを獲得した。3時間42分55秒で3位に入り、来年のリオデジャネイロ五輪陸上日本代表第1号となり、ここまで入賞さえなかった日本に初のメダルをもたらした。世界大会通算9度目の出場で美紀夫人(32)長女美渚ちゃん(4)との約束を果たした。

 もう歩けなかった。谷井は、北京の空に右拳を突き上げてゴール。腹ばいでばったり倒れた。「足がつりそう。ホッとしたら足が前に出なくなった」。車いすが準備されたが拒否。「メダルを取って車いすは寂しいかな」。太ももをたたいて自力で立ち上がり、日の丸を身にまとった。

 勝負の43キロ過ぎで4位だった。後輩の荒井が追いついて、声を掛けてきた。「メダル、取りましょう!」「よしいくぞ!」。苦しい独歩から解放されて、2人でペースを整えて追歩。1人を抜いて谷井3位、荒井4位。「よし銀、銅いけるぞ!」と後輩に呼び掛けてペースアップ。「荒井に助けてもらった。今度は引っ張るつもりで出たら、ついてこなかった。自分だけ銅が取れて申し訳ないです」と苦笑いで振り返った。

 32歳のベテランが大輪の花を咲かせた。五輪3度を含む世界大会9度目の出場。世界選手権は11年大邱、13年モスクワ大会は連続9位。鈴木の20キロ競歩世界新記録など後輩の活躍を横目で見ていた。「我慢して、我慢して。世界大会のメダル争いで思い切って歩けることがうれしくてしょうがなかった」。昨秋の仁川アジア大会では陸上金メダル第1号になった。「似たような感覚だ」。今大会で入賞なしだった日本を救う初のメダルとなった。

 08年北京五輪は失格してどん底に沈んだ。翌年11月に小学校の同級生だった美紀夫人と結婚。弱音を吐くと「やる気がないなら、行かなきゃいいでしょ! 行くならやってきてよ」とけんか腰で励まされた。「鬼嫁っていわれてます」とにっこり笑う妻が支えだ。

 「なんでパパは1番じゃないの? もう!」。5月の日本選手権で荒井に負けて2位。半泣きの美渚ちゃんにしかられた。最近は家の中で一緒に競歩をするようになった娘に「表彰台に上ってくる」。7年前に失格した北京で約束を果たし「喜びを分かち合える家族がいるのはいいなあ」。

 1936年ベルリン五輪、奈良岡良二(19位)の初出場から79年の時を経て、競歩種目では日本勢の世界大会初メダルだ。「先人たちがいたから、雄介(鈴木)の世界記録も僕のメダルもあったと思う。日本が競歩のメダル常連国になっていかないと。今日がそのスタートになってほしい」。次はリオ五輪でメダルをつかむ。【益田一弘】

 ◆谷井孝行(たにい・たかゆき)1983年(昭58)2月14日、富山県滑川市生まれ。滑川中では野球部。高岡向陵高-日大を経て佐川急便、昨春に自衛隊へ。五輪は3大会、世界選手権も6大会連続出場中。13年から日本選手権連覇。167センチ、57キロ。

 ◆日本競歩の世界大会 1936年ベルリン五輪男子50キロに奈良岡良二(19位)が初出場してから歴史が始まった。五輪での入賞者は、08年北京五輪の同50キロ7位の山崎勇喜1人。世界選手権は、第1回の83年ヘルシンキ大会の同20キロに園原健弘(46位)が出場している。これまでの日本勢最高成績は6位で、同50キロは97年アテネ大会の今村文男、11年大邱大会の森岡紘一朗、同20キロは13年モスクワ大会の西塔拓己だった。