競泳の北島康介杯は、初日から大いに盛り上がった。1月22日から24日まで東京辰巳国際水泳場で行われた。

緊急事態宣言が出されている中での大会は、無観客で開催された。東京都水泳協会主催の大会。参加選手の地域は限られているが、多くのトップスイマーが集結した。

初日の200メートル自由形で松元克央選手が1分45秒13の日本新を樹立して活気づくと、萩野公介選手も400メートル個人メドレー、200メートル個人メドレーを制した。19歳の佐藤翔馬選手は200メートル平泳ぎで、日本記録に0秒11差の2分6秒78の好タイムで優勝。注目の池江璃花子選手も100メートル自由形で55秒35の素晴らしいタイム。4位という結果に「相当悔しい」という言葉を残して、今大会を終えた。多くの選手が高いレベルの記録を出し、この1月という時期にあって非常に良い状態だと言える。

コロナ禍での大会は開催する側の立場も難しい。細心の注意を払っての実施になる。参加する選手たちも今までの体調管理プラス、この見えないウイルスへの予防を徹底して行っている。チーム全員が元気に試合を迎えることがどれだけ大変なことか、容易に想像ができる。


前回のコラムで「努力」する道のりが大切なジャーニーであると書いたが、「勝利」することの価値はどこにあるのだろうか。

現役時代、すぐそばでライバルやチームメートがオリンピックのメダリストになった。私ももちろん目指していたし、それがなければトレーニングに明け暮れることもなかっただろう。あれだけ努力しても、手に入れられないものもあるんだということを感じた時期だった。

しかし反面、「メダリスト」「勝者」と呼ばれる仲間やライバルたちが、どれだけすごいのかも分かる。私も人生を懸けてやってきたから、彼らのすごさが分かる。あの究極の場面で自身の実力を出し切る難しさ。どんな状態なら、注目されている中で結果が出せるのか。練習姿勢など全ての生き様が出るレースで、自身と冷静に向き合える強さは、「才能」という言葉だけでは片付けられない。


今、デュアルキャリアやセカンドキャリアなどの言葉も浸透してきて、引退後のことを考える選手も増えた。私自身、2012年に引退してからずっと考えていることがある。アスリートの価値を上げたい、スポーツの価値を上げたいということだ。この社会に生きるアスリートだった人たちが、どうしたら自分の競技人生を心から「よかった」と思えるのか、考えてきた。

勝利を追求し、自分の全てを懸けて戦うことは、振り返った時に大きな財産となる。素晴らしいことで、誰しも経験できることではない。その「財産」を生かすために一番必要なことは、自分の経験を言葉にできること。つまり言語化できることだと私は感じる。そこが最初のステップとなり、自分がよく見えてくるような気がする。自分(競技を抜いた自分自身)を知ることで、自分がやれることも見えてくる。やりたいことも大事だが、やれることを把握するのも大切だ。

なぜこんなことを今回書こうと思ったかというと、最近引退した後輩がいたりして、頭に浮かんできたから。急にやってきたことがなくなった気分になるだろう。目標がみつからないこともあるかもしれない。でも勝敗という白黒はっきりした目標だけが、目標ではない。努力して、自分がやってきたことの価値を作るのは、これからの自分自身だということだ。(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)