2組で初出場の北口榛花(はるか、23=JAL)が62メートル06を記録し、全体6番目で決勝進出を決めた。

同種目の決勝は64年東京五輪の佐藤弘子(リッカー、7位)、片山美佐子(帝人松山、11位)以来、57年ぶりの快挙。北口は「ちょっと前すぎて分からないんですけれど…」と苦笑いしつつ「(12年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪代表の)海老原(有希)さんが、ずっとこの種目で五輪に出続けてくださったので、自分が目指すきっかけになりました」と先輩に感謝した。

1投目からきっちりと結果を残した。いきなり62メートル06を記録し「練習で飛ばないんで、まさか飛ぶと思っていなくて、1投目投げた後に、大はしゃぎしちゃって反省しています」。2投目以降は助走のスピードを試したり、有効活用しながら、3回投げ終えた。

北海道・旭川市生まれの大器が、初の五輪に臨んだ。3歳から水泳を始め、小6時にはバドミントンの全国大会で団体戦優勝。旭川東高入学後の1年間は競泳との二刀流をこなし、陸上に専念したのは2年からだった。競技を始めてわずか3年目の15年世界ユースで、日本人女子では投てき種目初となる優勝。卒業後は日大に進み、19年5月には64メートル36の日本新記録を樹立した。その記録は現在、66メートル00まで伸ばしている。

父幸平さんはパティシエで、ヘーゼルナッツが実る「榛(ハシバミ)」を「榛花」の名前に用いた。「のびのびと育ってほしい」という願い通りに飛躍してきた。高2で全国高校総体初優勝を飾った14年には「選手としてやるからには、オリンピックにも出たい」と6年後(新型コロナウイルスによる延期で7年後)の飛躍を誓っていた。

自国開催の大舞台で、その雄姿を披露した。決勝は6日。伸びしろを多く残す23歳は「リカバリーして、より強くなって、決勝の舞台にいけたらと思います。決勝も笑って試合できるように頑張りたいです」と言い切った。