池田向希(23=旭化成)は1時間21分14秒の2位だった。同種目での日本人初の銀メダルを獲得した。

大学入学当初は、マネジャーを兼務をしていた苦労人。高校2年のときに長距離から競歩へと転向したときから、競歩の強豪・東洋大に入ることを志した。「どんな条件だろうが、東洋大に行こうと決めていた」。受付待機や電話対応、朝練前の準備など、選手として練習に励みつつ、マネジャーとしての雑務もこなした。父茂(52)さんは「とにかく東洋大に入れてうれしそうだった。高校の時は1人で練習をしていたので、みんなで練習をやれる環境がうれしいようだった」と振り返る。

駅伝の酒井俊幸監督の妻で、競歩コーチを務める瑞穂さんの指導を受け、自らの歩型を動画で毎日確認。ちょっとしたズレを気にするようになったことで、フォームが安定した。チームメートで同郷にあたる男子50キロ代表の川野将虎とともに、切磋琢磨(せっさたくま)してきた。

血まみれになった古い靴が実家に保管されている。静岡・浜松日体高時代、5位となったインターハイのときに履いていたもの。決勝前日の予選でマメができてしまい、決勝では痛みをこらえながら完歩。「ゴールしたら、両足のかかとから血が出ていて、靴が血だらけなっていた」と振り返る。敗れたときの靴を保管している理由については、「まだまだ力がなかったので、あの時は入賞できたことがうれしかった」と笑う。

モデルでタレントのみちょぱこと池田美優は、池田のはとこにあたる。その同い年の親戚は、レース当日に「20キロ競歩は16:30~ね。池田向希選手を応援します」とツイート。その声援も力に変え、懸命に歩いた。

【関連記事】男子20キロ競歩、詳細ライブ