五輪初出場の丸尾知司(29=愛知製鋼)は、4時間6分44秒で32位だった。表彰台こそ届かなかったが、24年パリ五輪では除外となる種目で力を出し尽くした。

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「枯れても腐るな」-

丸尾の人生を変えたのは、この言葉だった。

京都・洛西中時代は長距離で全国大会に出場。箱根駅伝を夢見て、入学したのが強豪の洛南高だった。

だが、左膝が悲鳴を上げた。2年時に手術。松葉づえで練習を見学する日々が続いた。膝への負担が少ない競歩に取り組み始めたが、心は折れかけていた。

ある日、88年ソウル五輪に走り幅跳びで出場し、指導者として桐生祥秀らを育てた柴田博之監督(58)に語りかけられた。

「枯れても腐るな。木は腐ったら生えてこないんだよ」

五輪前に丸尾は言った。

「今でも心にすごく残っています。『まだできるんだ』と思って、もう1度、奮起できた。今でも力にしながら、東京五輪に向けて頑張っている状況です」

29歳で迎えた初の五輪。17年世界選手権(ロンドン)で5位に入るなど活躍してきたが、五輪の切符をつかんだのは代表3人の最後だった。21年4月、石川・輪島市で行われた日本選手権。3時間38分42秒で優勝し、涙を流した。「やっとたどり着いた」。憧れの舞台を前に、こう誓った。

「50キロの醍醐味(だいごみ)は自分に挑戦できる。体力がゼロになるまで歩く。そこに挑戦できる喜びを感じながら、最後の50キロを最高なものにしたいです」

24年パリ五輪では50キロが除外される。自国開催であり、節目のレース。その思いを懸命な歩きに込めた。