男子50キロ競歩で初出場の川野将虎(22=旭化成)が6位入賞を飾った。41キロ付近でメダル争いをしていた集団から嘔吐(おうと)で離れたが、再び合流。粘り強い歩きで3時間51分56秒を記録した。勝木隼人(自衛隊)は4時間6分32秒の30位、丸尾知司(愛知製鋼)は4時間6分44秒の32位。ダビト・トマラ(ポーランド)が3時間50分8秒で金メダルに輝き、24年パリ五輪で除外となる同種目で最後の五輪王者となった。

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限界だった。トマラが1人で金メダルへ突き進み、5人で競い合っていた2位集団。41キロ付近、川野が中央分離帯にひざまずいた。「途中から何回も内臓が苦しくなってしまった」。東洋大時代から指導を受ける酒井瑞穂コーチに「吐いてもいいから」と促されていた。午前5時半の号砲から、3時間以上が経過していた。26度だった気温は30度に達し「暑さにやられてしまった」と立ち止まった。

逆境でも諦めなかった。「絶対に最後まで勝負する」。集団を追い、2キロ進むと追いついた。前日5日、男子20キロ競歩で大学、社会人と同学年の池田向希が銀メダルをつかんだ。「おめでとう」と連絡を入れ「明日、笑顔で終わろうな」と誓い合った。46キロを過ぎて顎が上がり、集団から取り残された。ゴール後は熱中症で全身けいれん。医務室で手当を受け、取材エリアにも進めなかった。それでも初の五輪で胸を張れた。

「自分の力を最大限出し切っての、この結果です」

出会いは突然だった。静岡・御殿場南高に入学後、最初の大会で指導者から出場希望種目を聞かれた。「5000メートルがいいです」と答えたが、エントリーは「3000メートル競歩」。わずか3日の練習で臨んだ本番は最下位だったが、失格者の影響で県大会に進んだ。本格的に取り組みタイムが向上。東洋大在学中の19年に全日本50キロ競歩高畠大会で3時間36分45秒の日本新記録を出し、五輪を決めた。

長い手足、接地時間の短さを生かすスピード。そこに五輪の経験が加わった。

「今回で50キロは終わるが、新しい世界が始まる。自分がしっかりつなぎたい」

シニア初代表で唯一無二の財産を得た。【松本航】

◆川野将虎(かわの・まさとら)1998年(平10)10月23日、宮崎・日向市生まれ。名前の由来は寅(とら)年生まれで「虎」の字が決まり、長尾景虎(上杉謙信)と同じ「景虎」も有力候補となるが、最終的には「将虎」に。父の転勤により静岡で育ち、須走小では柔道を習う。須走中では卓球部でシェークハンド。御殿場南高では世界競歩チーム選手権U20(20歳未満)男子10キロ代表入り。乃木坂46のファンで、推しは秋元真夏。178センチ。