変わり種の打撃投手が東京オリンピック(五輪)に参加する。DeNA福本誠査定担当補佐兼打撃投手(45)が、侍ジャパンの補佐役に選出された。現役時代は内野手だが、制球力を買われて打撃投手に就任して11年目。筒香嘉智(ドジャース)がほれ込んだ腕前で、金メダル獲得へ一肌脱ぐ。

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東京五輪の打撃投手は12球団から1人ずつ推薦され、左右2人ずつが選ばれた。福本氏は「大変光栄です。オリンピックは全世界のイベントですし、決まった時から心待ちにしていた。東京出身で横浜スタジアムも使うので、ご縁が深いのかなと」と喜んだ。DeNAでは査定補佐を兼務するが、用具担当などと違い、五輪期間中は業務が止まることも考慮された。

五輪は夢の世界だった。子どものころ、陸上のカール・ルイス(米国)に魅了された。テレビゲーム「ハイパーオリンピック」を「爪が割れるほどこすっていました」。東京6大学リーグのベストナイン遊撃手を獲得した学生時代から日本代表には縁がなかった。「一流のプロ野球選手が集まって、どんな雰囲気でどう戦っていくか。一緒に戦っていくのですが、第三者的に楽しみなところもある」。試合当日は球場に入れないが、合宿と練習試合ではチームに同行し、ホテルに同宿。外出も制限される。

打撃投手は元投手がほとんどだが、元内野手という変わり種だ。引退後、ファームでビデオ担当などをしていたが、時々、打撃投手に駆り出された。制球が評判となり、入来祐作氏(オリックスコーチ)がイップスで退任した後に推薦された。「米国でも投げていた人がイップスになって、投手をやったことない人が10年以上やって五輪で投げる。不思議ですよね」。就任後、すぐに主力打者担当になったという。

投手の実績はないが、打撃投手の腕は確かだ。投手だった小学校時代から制球が良かった。筒香がDeNA時代には指名を受けた。渡米時は「僕が帰ってくる時まで続けていてください」とまで言われた。1日80球程度、約16メートルから100キロ前後で主に直球とスライダーを投げる。カーブとフォークも「見よう見まね」で覚えた。「毎日同じようにやれるのが普通。1、2回投げるのはできると思うが、毎日何年もというのは大変」。使用球、打撃ケージの形、背景の違いに自らを適応させ、同じ投球を再現することにやりがいがある。

北京五輪で日本の打撃投手を務めた前田浩継1軍マネジャー兼打撃投手から、すべる国際球、セキュリティーの厳重さ、かかる重圧などの予備知識を得た。「対応能力が大切」。いつも通りの投球で、侍を縁の下から支える。【斎藤直樹】

◆福本誠(ふくもと・まこと)1976年(昭51)7月14日、東京都日野市生まれ。小学2年から高幡カージナルスで野球を始める。日野シニア-法政二-法大。98年ドラフト4位で横浜入団。内野手として通算55試合で84打数21安打0本塁打8打点、打率2割5分。06年現役引退。179センチ、76キロ。右投げ右打ち。