山田優(27=自衛隊)見延和靖(34=ネクサス)加納虹輝(23=JAL)とリザーブから昇格した宇山賢(29=三菱電機)4人が、日本フェンシング界の悲願だった初の金メダルを獲得した。

山田、加納、宇山の3人が出場した決勝でROC(ロシア・オリンピック委員会)に45-36で勝利。男子フルーレ個人では太田雄貴が08年の北京五輪で銀メダル、同団体が12年ロンドン五輪で銀メダルに輝いたことはあったが、金メダルだけは届いていなかった。エペとしては初のメダルが確定していた中、全種目の最終目標である金メダルを日本がついに手にした。

メダル確定マッチの準決勝で韓国と対戦した。第2ピリオド(P)途中から11連続ポイントを奪うなど45-38で圧倒し、準々決勝では世界ランキング1位のフランスも撃破。前回16年リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得したディフェンディング・チャンピオンを相手に終始リードされたものの、最終の第9Pでアンカー加納が大逆転。45ポイント先取で勝敗が決まる試合で42-44と絶体絶命の危機に陥ったが、そこから3連続ポイントで45-44とひっくり返した。初戦の米国は45-39だった。

男子エペ日本代表は19年のワールドカップ(W杯)でブエノスアイレス大会でW杯初優勝。リオ五輪6位で18-19年シーズン世界ランキング年間1位の見延、グランプリ(GP)やW杯で優勝経験のある山田、加納に宇山を加えた陣容で「史上最強」の呼び声が高かった。

選手会の会長を務める主将の見延は、リオ五輪の後に「エペジーーン」を合言葉に。「チームをエペ陣と呼んでいるんですが『ジン』ではなく『ジーーン』なのは、人を『ジーーン』と感動させるプレーをしたいから」と本紙インタビューで話していた通り、史上最高の金メダルで少しでも感動させられることを信じて戦った。

今大会に向けては「本気で頂点を目指している。太田先輩も達成できなかった金メダルを取るのが、残された僕らの使命」と燃えていた見延らエペジーーン。務めを果たし、日本に金色の新たな歴史を刻んだ。【木下淳】

◆日本フェンシングの過去の五輪メダル 08年北京五輪の男子フルーレ個人で太田雄貴が銀メダルを獲得。12年ロンドン五輪では男子フルーレ団体(三宅諒、千田健太、太田雄貴、淡路卓)で銀メダルを獲得した。