大阪府泉佐野市でホストタウンとして受け入れてるウガンダ共和国の選手団のうち、16日から行方が分からなくなった重量挙げ選手ジュリアス・セチトレコ(20)が「ウガンダにいる妻と子どものために日本で働きたい。荷物も家族に送って欲しい」との趣旨の書き置きを残していたことが17日、分かった。

市によると、16日午前6時30分ごろ、宿泊していたホテルニューユタカから約1・4キロ離れたJR熊取駅で、セチトレコが新大阪から名古屋行きの新幹線の自由席の切符を現金で購入したことを確認。セチトレコと思われる人物が切符の買い方を駅員に教わっているところを市民が目撃したという。セチトレコは滞在中に67キロ級のランキング変更により出場資格を失い、他の選手らが選手村に移動する20日に帰国予定だった。セチトレコのパスポートは選手団が保管。書き置きには「生活が厳しい国には戻らない」とも記されていた。

五輪の選手は最大90日間の「短期滞在」の在留資格で滞在中。就労は認められていない。このまま在留期間を過ぎてしまったり、書き置きにあった通りに日本で働き始めてしまえば、入管難民法に違反する恐れもある。

セチトレコが、難民として日本で暮らす選択肢はあるのか。出入国在留管理庁のホームページによると、20年度に難民と認定された外国人は47人。そのうちウガンダ人は1人だった。ウガンダ人の申請者は19年度が35人、20年度が57人と増加している。

国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所広報官の守屋由紀さんによると、難民と認定されるのは本来帰国すれば紛争などで命を脅かされるようなケースで、セチトレコについては「詳しい状況は分からないが『働きたい』というだけでは難しいと思う」と話した。その上で、難民選手団も出場予定の東京五輪をめぐっては「平和の祭典として五輪が開かれる中で、紛争が絶えず命からがら追われている人がいることも改めて知って欲しい」と訴えた。【沢田直人】

◆ウガンダ共和国 アフリカ大陸東部、南スーダンの南、コンゴの東、ケニアの西、タンザニアの北に位置する。日本の本州ほどの広さの国土の南部には、ウガンダ、ケニア、タンザニアの3カ国にまたがるビクトリア湖も広がる。首都はカンパラ。人口は4427万人。1962年に英国から独立。71年、アミン少将がクーデターで大統領に就任も79年には失脚。混乱が続いたが1986年のムセベニ大統領就任後、安定。ただ、近年は南スーダンやコンゴの政情不安、治安悪化などから北西部、南西部に多くの難民が流入している。主な輸出物品は金、コーヒー、魚、カカオ豆など。1人あたりの国民総所得(GNI)は780米ドル(19年)。同年の日本は4万1513米ドル。