稲見萌寧(22)が五輪の銀メダルを手にした。高校2年時のナショナルチーム入りや、18歳でのプロテスト1発合格、初優勝と、1つずつ階段を駆け上がってたどりついての偉業だ。大舞台でも物おじしない精神力と確かな技術は、父・了(さとる)さん(42)と二人三脚で過ごした日々で鍛えられた。

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「プロゴルファーになりたい」。9歳で初めてクラブを握った時から、稲見はそう語っていたという。当時書いた作文ではプロテストが受験できる最低年齢(当時)である18歳での合格を誓い、8年後に見事に達成。中学生での日本女子アマ出場や高校時のナショナルチーム入りなど、幼い頃から父と細かに目標を定めて練習に励み、そのすべてをクリアしてきたという。

ゴルフを始めて以降は、体調を崩しても、天候が悪くても練習場に足を運んだ。「本人にやらされている感覚はないと思います。行きたくないと言ったことは1回もない。賞金を手にしても何が欲しいとかもないし、本当にゴルフが好きなんだと思う」と話す。「楽しくないとうまくならないし、きついでしょ」と昔から練習は1人ではなく、練習場で知り合った同じ志を持つ仲間たちと一緒にやらせるなど工夫もした。

中学からは地元の東京を離れ、練習環境の整う千葉県内に引っ越した。今でこそがっしりとした体形だが、本来は細く、痩せやすい体質。体を大きくするため「小さい頃は泣きながらご飯を食べていた」という。了さんが試合時の送り迎えを行い、サケや梅干しが入った自ら握ったおにぎりも4~5個持たせた。

18年冬に今大会キャディーを務めた奥嶋誠昭コーチを迎え入れた。指導の様子を見た時に「良い時のスイングをしていた」と即決。奥嶋コーチからも「この子は絶対勝てる。こんなに才能がある子を任せてくれてありがとうございます」と伝えられたという。

プロになるまで稲見にはスマホなどは持たせず、ゴルフに集中させた。時にはプレーについて厳しく指摘する一方、五輪前には千葉の九十九里浜に連れ出すなど気持ちをうまく整えた。国内ツアーでの躍進やメダル獲得など飛躍の年となっているが「何も変わらないですよ」と了さん。これからも2人で、次なる目標へと歩んでいく【松尾幸之介】

稲見萌寧(いなみ・もね)

◆生まれ&家族 1999年(平11)7月29日、東京・豊島区生まれ。家族は両親。

◆ゴルフ歴 9歳から始め、12年関東小学生選手権、14年関東中学生選手権、15年東日本パブリックアマ優勝。ツアーは15歳で出場した15年中京テレビ・ブリヂストン10位、16年三洋電機レディース8位。

◆プロテスト 18年7月に1発合格。20位タイと実質最下位でギリギリ通過。最終18番でロングパットを決めての合格に「あれを経験したら何でも大丈夫」。

◆プロ入り後 19年はセンチュリー21レディースで初優勝するなど賞金ランキング13位で、日本女子プロゴルフ協会の新人賞受賞。20年と統合された今季は6勝、うち今年だけで5勝。4月は歴代最多月間3勝。

◆はざま世代 国内ツアーの中心、98年度生まれの「黄金世代」と00年度生まれの「ミレニアム世代」の間で自称「はざま世代」。だが「世代じゃなく、私がダイヤモンドになる」。

◆パーオン率 本格的に参戦した19年の78・2079%は、ツアー歴代1位。

◆絶対距離感 「絶対音感じゃないけど距離感がすごい。2、3ヤード刻みで打てる」(奥嶋誠昭コーチ)。

◆プレーオフ全勝 20年10月のスタンレー・レディースは3人、今年3月の明治安田生命レディースと4月の富士フイルム・スタジオアリス女子は2人のプレーオフに勝ち優勝。今回で4戦4勝の勝率100%。

◆座右の銘 忍耐。

◆名前の由来 フランスの画家クロード・モネではないが「世界に出て覚えてもらえるように」と命名。

◆趣味 音楽鑑賞。

◆サイズ 166センチ、58キロ。