16年リオデジャネイロ五輪銅メダルの高藤直寿(28=パーク24)は決勝で楊勇緯(台湾)を延長の末に下し、今大会で日本勢初の金メダルを獲得した。

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得意技の原点は小学生時代にあった-。栃木・野木町柔道クラブで高藤を小3から指導した福田健三会長(71)は、小内刈りを徹底的に教え込んだ。

全国制覇した小5の時の体重は、出場選手の中で最軽量の20キロ台。抜群の勝負勘と俊敏な「猿みたいなちびっ子」を最大限に生かす策として伝授した。小内刈りは、一般的に相手の足首を狙う選手が多い中「かかとを払え。足首ではなくかかとだ!!」と口酸っぱく言った。反復稽古のかいがあって絶妙なタイミングで面白いように技が決まるようになった。多彩な技を持つ高藤の大きな武器となり「ここぞの場面」で効果的に出す“必殺技”となった。

やんちゃな性格で、地元周辺では今でも「高藤伝説」が語り継がれている。担任の先生に怒られると教室を飛び出して、木の上で昼寝するなど漫画のような逸話が多数残る。「義務教育だから上には上がれる」などと言って困らせた。その一方で柔道となると別人のような集中力で、その研究意欲に周囲を「天才」と何度も驚かせた。当時から「五輪で金メダル」と公言し、ビッグマウスで終わらず20年後に実現させた。

同クラブは12年ロンドン、16年リオ男子66キロ級銅メダルの海老沼匡さん(31)も輩出。高藤は4学年上の尊敬する先輩の背中を追い、同じ所属のパーク24に入社した経緯もある。

福田会長には1つの夢があった。教え子たちが「五輪金メダル」を獲得するまでは「祝勝会」を開催しないと約束した。ともに世界選手権を3度制したが報告会止まりで、何としても祝勝会を実現させたかった。今春には大病を患い、一時は医師に余命宣告されて右足を切断した。この日は大好きなビールを片手にテレビ前で静かにやんちゃ坊主の勇姿を見守った。「これでやっと祝勝会が開ける。俺の夢もようやくかなってうまい酒が飲める」。71歳の指導者は一足早く祝杯をあげ、喜びに浸った。【峯岸佑樹】