初出場の渡名喜風南(25=パーク24)は決勝で世界ランキング1位のディストリア・クラスニチ(コソボ)に敗れて銀メダルだった。今大会の日本選手団金メダル1号は逃したが、日本勢として夏冬通算500個目の記念すべきメダルとなった。

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神奈川・相模原市で生まれ育った渡名喜は、沖縄を「第2の故郷」とする。沖縄県南風原(はえばる)町出身の両親を持ち、沖縄愛強い。コロナ禍前までは国際大会前に沖縄尚学高へ3回出稽古に行き、最終調整に励んだ。帝京大1年の頃に4年で主将だった真喜志(旧姓玉木)聖子さん(29)が同校卒業生で女子柔道部をサポートしてる縁で、出向くようになった。

緊張感が高まる試合前に海風を感じながら心身を整える意味もあり、五輪代表内定が懸かる19年2月のGSデュッセルドルフ大会前にも訪れた。その際には、卒業生4人へ沖縄独特の慣習であるお菓子の首飾り(レイ)を準備してお祝いした。サプライズ演出に真喜志さんは「柔道では内に秘めた精神で黙々淡々と取り組むけど、畳を下りたら本当にかわいいし温かい」と後輩の優しさに感謝。今では沖縄尚学高を「第2の母校」と呼ぶほどの愛着を持っているという。

南風原町には祖父の庸善さん(83)が住み、畑でゴーヤーなどの作物を育てている。自宅には「じいちゃん家にも」と渡名喜から贈られたトロフィーが多数並ぶ。高校の3者面談では「早く強くなって引退したらじいちゃんの畑を耕す」と言っていたほど家族愛に満ちている孫娘。五輪での勇姿を見届けるために大型テレビを準備した庸善さんは「風南の名前は南風原町を逆さにしたもの。きっと、両親が故郷を忘れないようにとの願いを込めてつけたに違いない。あの子の心にはずっと沖縄はあるよ」と自慢の孫の成長を南国の地から喜んだ。【峯岸佑樹】