16年リオデジャネイロ五輪銅メダルの永瀬貴規(27=旭化成)が決勝でモラエイ(モンゴル)を下し、2度目の五輪で悲願の金メダルを獲得した。初対決となる相手得意の肩車に対応し、内股、大内刈りを仕掛けたが、決着つかずに延長(ゴールデンスコア)に突入し、技ありで優勢勝ちした。同階級では、00年シドニー五輪の滝本誠以来となる日本勢の金メダル。これで日本男子は初日の60キロ級を皮切りに4階級連続の金ゲットとなった。

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粘った。勝負が決まると永瀬は両手で顔をおおった。「ついに表彰台の一番高い景色を眺められた。この5年はつらい時間だったが、今日でそれが報われた。あの経験(リオ五輪銅メダル)があって良かった」。

気持ちは折れなかった。2回戦から決勝まで5試合中4試合が延長。紙一重の闘いが続いた。モラエイとの決勝では、しぶとく粘って相手のスタミナを消耗。延長1分43秒。独特の間合いから鋭い足車で技ありを奪い、屈強な敵を横倒しにした。

「五輪の借りは五輪で返す」。この5年この思いを胸に刻み、歩んできた。リオ五輪後の17年世界選手権4回戦で悲劇が起きた。「ぎぎぎぃぃ」。右膝から音が聞こえた。右膝靱帯(じんたい)損傷。人生初の大けがだった。これまで味わったことがないどん底。帰国後、医師の診断を受け入れられず複数の病院を回った。「絶対にそんなことはない」。真面目な性格で繊細がゆえに不安も大きく、人生初の手術に抵抗があった。しかし、東京五輪を目指すために覚悟を決めた。

病床で目を覚ますと「別人の足」だった。現実を受け止め、1年間の懸命なリハビリを経て18年秋に実戦復帰。結果が出ず苦しみもがいた。「過去の自分に腐らず1つ1つの壁を越えていこう」。自らを奮い立たせ、地道にはい上がった。

持ち味である粘り強い柔道を徐々に取り戻した。五輪2連覇の偉業を達成した大野将平が「俺より強い」と認める受けと巧みな試合運びで、19年全日本選抜体重別選手権から5連勝。藤原崇太郎に猛追し、五輪代表争いを制した。コロナ禍以降は「考える時間」を設け、周囲や報道に流されず信念を貫くことを決めた。「もう大丈夫。俺は強い」。

日本男子は初日から3階級金メダルで、この日永瀬にバトンが渡った。「日本代表であれば金メダルが使命。それが自分の役目でもある」。寡黙な27歳の柔道家が激闘を制し、悪夢の5年前の雪辱を果たした。【峯岸佑樹】