16年リオデジャネイロ五輪男子100キロ超級銀メダルの原沢久喜(29=百五銀行)は5位に終わり、メダルを逃した。3位決定戦では5年前の決勝で敗れた「絶対王者」ことテディー・リネール(フランス)と再戦。延長の末、指導3の反則負けを喫した。

柔道人生の「集大成」と位置づけていた29歳の挑戦が終わった。日本男子100キロ超級は08年北京五輪覇者の石井慧が総合格闘技に転向後、低迷が続く。

メダルへの夢が消えた瞬間、原沢は畳に倒れて天を仰いだ。3位決定戦でリネールとの再戦となったが内容は完敗。「結果で恩返しができず悔いが残る。それしかない」。メダルすら届かなかった現実に目を潤ませた。準決勝の相手は19年世界選手権決勝で敗れたクレパレク。道着を持たせてもらえず技がでない。スタミナが切れた一瞬の隙を狙われ、畳に背中をつけた。

「強い気持ちと執念で戦うと決めたが、力及ばなかった」

リオ五輪からの5年は苦難の連続だった。「オーバートレーニング症候群」による不振、18年には日本中央競馬会を退社。「安定を捨てリオ五輪より強くなって東京五輪へ臨みたい」。こう自らを奮い立たせ、3大会ぶりの最重量級の王座奪還を狙った。64年東京五輪の無差別級決勝で神永昭夫がヘーシンク(オランダ)に敗れてから57年。再び看板階級に厳しい現実を突きつけられた。

◆64年東京五輪のヘーシンク対神永戦 日本武道館で行われた体重無差別級決勝で、神永昭夫が世界王者だったアントン・へーシンク(オランダ)と対戦。9分22秒の熱戦は、ヘーシンクにけさ固めで一本負けした。優勝に大喜びしたオランダ関係者が土足で畳の上に駆け上がろうとしたが、神聖な畳を理解していたヘーシンクは右手で「待て」と制した。「礼に始まり礼に終わる」の精神を体現した行動として、高く評価された。柔道は同大会から正式種目に採用。日本のお家芸だった柔道の全4階級制覇は達成できなかった。