空手の女子形で銀メダルを獲得した清水希容(27=ミキハウス)は、自らを「遅咲き」と自己分析する。

全日本選手権初優勝は、大会期間中に20歳の誕生日を迎えた13年。前年度まで4連覇していた宇佐美里香(35=現全日本空手道連盟選手強化委員長)が現役引退し、全日本女王の座を勝ち取った。東京五輪で追加種目入りを果たした空手。銀メダルの裏には、歴代のライバルたちを追い続けた日々があった。

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元々は中学卒業で競技から離れるつもりだった。清水が9歳から始めた空手。地元大阪で通っていた道場は、形が盛んだった。「かっこいいな」「きれいだな」-。小学生時代は全国大会に縁がなく、先輩が演武する姿を、憧れのまなざしで見つめる少女だった。

転機は中学3年生の夏だった。初めて出場した全国中学生選手権は3回戦敗退。1~2年時は学年別の全国大会で、同い年の川崎衣美子(28=当時静岡・島田第一中)に屈した。優勝した川崎と対決する前に、中学最後の夏が終わった。

「私がふらついた演武になってしまって…。それが初めての挫折です。習い事だったので空手をやめて、高校に行って、一般的な感じで高校生を楽しみたかった。その悔しさで『敬愛に行きたい』と言いました」

強豪の東大阪大敬愛高に進学。「あんたが行って、伝統を崩したらどうすんの」と反対する母を「絶対に全国に出て、優勝するから行きたい」と説得した。朝は4時に起き、6時までには学校に着く毎日。上下関係における礼儀や、責任感を身につけた。3年で全国高校選手権初優勝。道場、高校の4学年先輩となる小出(旧姓梶川)凜美(31)の背中を追い、関大へと進んだ。小出は「小学生で道場に入ってきた時から、存在感があったわけではないと思います。でも、人より努力していた」と振り返る。先輩はライバルになった。

道場ではそれぞれが自分の形と向き合い、磨き上げる日々。清水が大学2年となった13年、全日本で4連覇中の宇佐美が引退した。

「宇佐美先輩の世界大会を見て『いいなあ』と思っていました。そこからは(小出)先輩と争うようになって…。『先輩がずっと勝っているし、勝てるわけない』と思っていたけれど、悔しさと負けたくない気持ちが出てきました。同じ道場の先輩と競い合っていたから伸びたんだと思います」

13年12月8日、全日本選手権決勝は小出が相手だった。清水は“勝負形”の「チャタンヤラ・クーサンクー」を用い、4-1で勝利。初優勝をつかんだ。自身と清水の母校である東大阪大敬愛高で現在コーチを務める小出は、こう言った。

「私も希容がいたから頑張れた。道場でもよく会って『希容、ずっと練習しているな』と思い、それが刺激になっていました。今もきれいな形を広めてくれているのが、うれしいです」

清水は翌14年に世界選手権初優勝。一気に頂へと駆け上がり、16年には東京五輪追加種目入りが決まった。五輪への挑戦の過程で、こう言ったことがあった。

「空手をやめずに続けていたから、今、五輪を目指せています。武道の聖地の日本武道館で五輪が開催される。演武するものなので、心に残る選手になるために日々、自分を磨いていくことが大事だと思います」

日本女子形の系譜を受け継ぎ、その全てを出し切った。(敬称略)【松本航】