復興五輪の理念の下、東日本大震災の被災地で開催された東京オリンピック(五輪)の競技は、7月31日の宮城県でのサッカー男子で全日程を終えた。新型コロナウイルス下で復興発信の場が失われ、福島県を含む多くの会場が無観客となる中、宮城の観戦者からは、被災地での試合開催を評価する声も上がった。

被災地では、宮城でサッカー、福島で野球・ソフトボールを実施。新型コロナへの懸念から福島は無観客としたが、新規感染者は高止まりしたままだ。内堀雅雄知事は7月28日の記者会見で、妥当な判断だったとしつつ「復興五輪は思い描いた形とは異なり失われた部分がある」と率直に認めた。

一方、隣県知事や仙台市長らから反対されながらも、観客受け入れを貫いたのが宮城の村井嘉浩知事。「世界中の人に復興五輪のメッセージを発信するチャンス」と意気込み、7月26日の記者会見では「決して十分ではない」としながらも「最低限のことはやれた」と胸を張った。

観客を入れ男女サッカー計10試合が開催された宮城県利府町の「キューアンドエースタジアムみやぎ」。スタジアム内には被災地支援への感謝を英語でつづった横断幕が見られた。観客の上限は1万人だが、各地から訪れた人に復興支援への感謝や被災地の今を伝える試みが行われた。

同県が独自に設けた都市ボランティアの語り部らは、JR仙台駅前で自身の経験や教訓を語り伝えた。コロナ下で呼び込みが難しく訪れる人は多くはなかったが、語り部の高校教諭千葉由紀さんは「忘れられかけていることを伝えられる場があるだけでありがたい」と話す。

スタジアムを訪れた人の中には、観客を入れたことを評価する人も。「震災は大変だったけど多くの支援で復興できた。お客さんが入ったことで被災地のことも少しは伝わったかな」。津波で自宅を流され約6年間仮設住宅で暮らした宮城県石巻市の大学3年小向佑奈さんは試合観戦後、こう語った。

7月31日に家族と訪れた川崎市の会社員須藤浩二さんは「津波の映像は世界にショックを与えたと思うが、応援に来る人がいて『立派なスタジアムで五輪が開催できる状況まで復興できたんだよ』と世界にアピールする機会になったと思う」と話した。