東京オリンピック(五輪)の関連施設に「潜入」するシリーズの第2回は、自衛隊体育学校だ。メダル獲得という任務を遂行すべく、日々鍛錬に励む自衛官アスリートの“虎の穴”の中はどうなっているのか-。どういう目的でこの施設は存在しているのか。コロナ禍の中で“リモート潜入”を試みた。【取材・構成=奥岡幹浩】

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埼玉県朝霞市、和光市、新座市、そして東京都練馬区をまたがる陸上自衛隊朝霞駐屯地。東京ドーム約20個分の広大な敷地内では、迷彩服姿の隊員たちが訓練に励み、戦車やヘリコプターも駐機する。

その一角に、五輪選手を養成するための“特別機関”が存在する。自衛隊体育学校と呼ばれ、今から60年前、前回の東京五輪を3年後に控えたタイミングで創設された。広報担当者は、「部隊における体育・格闘指導者の育成が目的の1つ。また五輪などで活躍する選手を育てることは隊員の士気高揚につながり、さらにはスポーツ振興にも貢献できるという意義があります」と説明する。

所属する隊員の最大のミッションは、五輪などの国際大会で活躍すること。創設以来、のべ143人の選手が五輪の晴れ舞台に立ち、64年東京大会重量挙げ金メダルの三宅義信や、マラソン銅メダルの円谷幸吉らを皮切りに、計20個のメダルを獲得してきた。「充実した設備に、有能な指導者や手厚いサポートなど居食住が完備。選手がトレーニングに集中できるところが強みです」(広報担当者)。

今夏の東京五輪には、現時点で11選手の代表入りがすでに内定。ほかにも有力選手が多数在籍する。

<競技>

夏季五輪では現在、レスリング、ボクシング、柔道、射撃、重量挙げ、アーチェリー、陸上(競歩、長距離)、水泳、近代五種、フェンシング、カヌー、女子ラグビーの12競技の選手が在籍。

<射撃訓練場>

朝霞駐屯地に隣接する訓練場に、64年東京五輪でライフル射撃会場として利用された施設が存在した。設備の老朽化に伴い自衛隊体育学校ライフル射撃訓練場に建て替えられ、19年11月に完成。50メートル、25メートル、10メートルのライフル、ピストル射撃が可能。国内では法律でピストル所持を認められた者だけが大会に出場でき、選手の大半は警察官や自衛官。

<馬術訓練場>

自衛隊唯一の馬術訓練施設で、近代五種競技の馬術種目の練習を行える。7頭のサラブレッドが在籍

<ラグビー・サッカー場>

ナイター設備を有し、女子ラグビー班が主に使用

<全天候型トラック>

ナイター照明が完備され、夜間練習にも対応

<研修棟>

正式名称は体育学校研修センター。低酸素トレーニング室やメディカルトレーナー室などを完備

<アーチェリー場>

屋外、屋内70メートルの設備

<総合体育館>

各種別の道場、筋力トレーニング場も完備

<自衛隊国際水泳場>

日本国内に4施設ある国際基準競泳用50メートルプールの1つで、水深3メートルを確保。19年11月完成

 

【小原日登美さん】

12年ロンドン五輪レスリング女子48キロ級金メダルの小原日登美さん(40)は、現役時代に自衛官アスリートとして活躍。現在は体育学校レスリング班女子ヘッドコーチとして、後進の指導にあたる日々だ。自衛隊に入隊すれば根性が鍛えられそうなイメージを持つが、小原さんが積んできたのはむしろ、最先端の機器を使っての科学的トレーニングだったという。

小原 ランニング時やトレーニング時に脈拍を測定し、身体の状態がどうなっているのか分析。そうしたデータを、練習や試合に生かしました。教える立場になった今も、科学的見地を重視しています。

体育学校内における競争の厳しさも、レベルの高さに直結。毎年1回、選手の入れ替えが行われる。独自の級指定も存在し、最上位の「SA級」は五輪や世界選手権メダリスト、続く「A級」は全日本選手権優勝者、「B級」は同2、3位に相当する。

小原 寮で生活する選手たちは申請した上で外出しますが、級指定が上がれば外出時間などの制限が緩和されます。級に応じたバッジを着けられることもモチベーションになります。

コーチとしては、有望選手のスカウトも重要なこと。学生たちには、体育学校の良さをどうアピールしているのか。

小原 選手として能力を高められる環境の充実に加え、結果を出せば将来、コーチとして競技と関わり続けられる。もし選手として大成できなくても、自衛官としてやりがいを感じながら生活を送ることができる。そんなメリットを伝えています。

引退後は出産や育児を経験。その間も、自衛隊に籍を置いてきた。

小原 そういう制度が整備されていることも自衛隊体育学校の利点。子育てと選手育成の両立で、充実した毎日を送っています。

◆小原日登美(おばら・ひとみ)旧姓坂本。1981年(昭56)1月4日、青森県八戸市生まれ。八戸工大一高から中京女子大(現・至学館大)に進み、栄和人氏の指導を受ける。04年アテネ五輪出場がかなわなかった後、05年に自衛隊体育学校へ。12年ロンドン五輪48キロ級で金メダルを獲得後に現役引退。出産、育児を経て、現在は体育学校レスリング班女子ヘッドコーチを務める。