日本チーム最年少の山田美幸(14=WS新潟)が、銀メダルを獲得した。女子100メートル背泳ぎ(運動機能障害S2)に出場し、予選を全体の3位で通過すると決勝は2分26秒18で2位。今大会日本チーム第1号のメダルに輝くとともに、1984年陸上100メートルで銅メダルの嶋津良範が記録した16歳の最年少メダル記録を大幅に更新した。

 

表彰台の上で、山田は最高の笑顔をみせた。首から銀メダルを下げ、副賞の花束は左足でつかんだ。その足を顔に近づけると、大きく息を吸った。そして、またニッコリ。「とても興奮していて、うれしいです。楽しく泳げました」。14歳は何度も笑ってみせた。

積極的なレースだった。スタートから飛び出し、序盤はリードも奪った。生まれつき両腕はない。長さが違う左右の足で力強いキックを打ち、両肩を巧みに回転させて姿勢を保つ。「100点満点の泳ぎができました」。予選から緊張したが、決勝は「形だけでも笑顔で楽しもう」。開き直りが、好結果を生んだ。

9歳でリオデジャネイロ大会を見て「楽しそう。ここで泳ぎたい」とパラリンピックを目指した。昨年2月のクラス分けで、S3から障害が重いS2になったことで現実的な目標になった。わずか5年で夢をかなえ、さらにメダルまで獲得した。「めっちゃ、楽しめました」と言い切った。

レース後、プールに深々と頭を下げるなど周囲への気配りを忘れない。「みなさんの力。みなさんに感謝したい」。母やコーチへの思いを口にした後、闘病の末に一昨年亡くなった父一偉さんの話になると思わず言葉を詰まらせた。いつも応援し、支えてくれた父。「お父さんもカッパだったんだよと言うんです。今度は『パパ、私もカッパになったよ』と言います」。

小さい頃から「できないこと」はあったが「水の中では何でもできた」と笑った。だから、泳ぎに夢中になった。最年少記録は「知らなかった」という14歳がカッパになって日本パラリンピックの歴史に新たな1ページを加えた。【荻島弘一】

◆山田美幸(やまだ・みゆき)2006年(平18)9月15日、新潟県阿賀野市生まれ。保育園の時に水泳を始める。15年に身体障がい者水泳の全国大会で優勝。17年のジャパンパラ大会では200メートル自由形を制し、19年の同大会では50メートル背泳ぎと100メートル自由形の2冠。現在は4種目で日本記録を保持している。阿賀野市立京ケ瀬中3年。

◆夏季パラリンピックの日本最年少記録 最年少代表は04年アテネ大会に13歳で出場した競泳の山田拓朗。前回大会までの最年少メダリストは84年ニューヨーク大会の陸上男子100メートル(視覚障害)銅メダリストの嶋津良範で16歳だった。同じく最年少金メダリストは88年ソウル大会陸上男子スラロームの竹村克明と、12年ロンドン大会ゴールボール女子の若杉遥で、ともに17歳だった(※大会資料によれば、生年月日不詳でどちらが最年少かは不明)。