東京パラリンピックの聖火が消えた。2013年9月7日、先日亡くなった国際オリンピック委員会ジャック・ロゲ前会長の「TOKYO」から始まった壮大な旅路は、1年の延期を経て21年9月5日、終わりを告げた。この8年、東京大会は日本社会にさまざまな「功罪」をもたらした。

東京招致を目指す段階からスポーツ環境は大きく変化した。11年にスポーツ基本法が施行され、14年には障がい者スポーツの所管が厚生労働省から文部科学省に。健常者と所管が統一されたことで縦割り行政の弊害が取り除かれた。19年にはナショナルトレーニングセンター(NTC)イーストが完成。パラ専用の強化拠点が整備され、健常者選手との垣根がなくなった。

その最大の成果が今大会新採用のバドミントン。日本勢は金3つを含む9個のメダルを獲得した。新型コロナウイルスで国際大会の中止が相次いだ中、NTC合宿で健常者と実戦練習し強化を図った。

障がい者スポーツの枠を超え真の意味でスポーツになる-。大会を長く取材し続ける中で、何度もこの主旨の話を聞いた。競技性、エンタメ性を高めなければ大衆からは注目されない。その意味で今大会はスポーツとしてのパラ競技の魅力が最大限に国民に伝わったように思う。

一方でこの8年間で日本社会の課題もあぶり出された。その1つが「スポーツと政治」。五輪開幕直前、2020大会は国会の与野党論戦の具として使われた。与党は開催、野党は中止や再延期を主張し国民世論は二分。今秋の総選挙を見据えた政争に利用された。

その政治の陰にスポーツ界が隠れてしまったのは残念でならない。コロナ禍による史上初の延期や無観客など、重要政策の意思決定の場に日本オリンピック委員会(JOC)山下泰裕会長の姿はなかった。感染拡大で選手に批判の目が向けられても、声を上げる関係者は少なく、選手は貝になるしかなかった。

コロナ禍で影の部分も色濃く浮かび上がった。延期による追加分を含めて大会の直接経費は1兆6440億円と公表されたが、間接経費を含めればさらに天文学的な数字になるといわれる。これほどの金をかけなければオリパラは開催できないことを国民は知った。

大半が無観客開催となったことで見込んでいたチケット収入900億円はほぼ水の泡となった。組織委が資金不足に陥れば東京都が負担する取り決めだが、パンデミックという非常事態での出来事。そう簡単に落ち着く話ではない。今後、国、都、組織委による負債の押し付け合いが始まるのかと思うと、ぞっとする。

日本に根付く差別意識もあぶり出した。女性蔑視発言で組織委前会長が辞任。過去の雑誌で障がい者へのいじめを武勇伝として語った音楽家や、お笑いコンビ時代に「ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)」をネタにした演出家が五輪開幕直前に相次いで開閉会式制作チームから追放された。

光と影。強すぎる聖なる炎はその両者を我々に示した。次回、東京にオリパラが来る日はどんな時代になっているのか。2021年に生きた人たちは思うだろう。コロナ禍に苦しんで開催し、産み落とした功罪併せ持つ「東京のレガシー」が未来の参考書になれば本望だと。【三須一紀】