日本勢がワンツーフィニッシュした。予選4位の四十住(よそずみ)さくら(19=ベンヌ)が、決勝で60・09の最高スコアをマークして金メダルを獲得した。予選3位で開心那(12=ここな、=WHYDAH GROUP)が59・04で銀メダル。12歳11か月でのメダル獲得で、今大会のストリート女子金メダリストの西矢椛(13歳10か月)を抜き、日本人史上最年少メダリストになった。予選1位の岡本碧優(みすぐ、15=MKグループ)は53・58で4位となり、惜しくも日本勢の表彰台独占を逃した。日本人の母親と英国人の父親を持ち、宮崎県で生まれ育った13歳のスカイ・ブラウン(13=英国)が56・47で銅メダルを獲得した。

   ◇   ◇   ◇

予選4位通過の四十住が金メダルに輝いた。大会前には「東京で満開の桜を咲かせます」と宣言。言葉通りの華麗な滑りで、表彰台に立った。

「スケボーのイメージはヤンキーとか、悪いイメージが多いけれど、真剣に世界を目指してやっているというのと『楽しい』っていうのを見せたいです」

四十住は心からスケートボードを楽しんでいる。競技との出会いは今から8年前、小6の時だった。地元和歌山・岩出市の自宅前で、13歳上の兄麗以八(れいや)さんにボードを譲ってもらった。きょうだいで年齢差があり、最初は一緒に遊んでほしい一心だった。ほどなくすると「自分がスケボーの楽しさをわかり、今度はお兄ちゃんなしでスケボーをやりたくなった」とのめりこんでいった。

中学生になると毎朝6時半に起き、7時から30分間、自宅前で滑った。誰に言われた訳でもない。「お兄ちゃんが『うるさいからやめろ』っているんですけれどね」。夕方に学校から戻ると、塾に行き、夜は遠方のパークで滑った。

「スケボーを嫌いになったことはないです。楽しさしかない。楽しくなかったら、多分ここまで続いていないと思います」

中学3年の夏に東京五輪追加種目入りが決定。競技会が増え、日本代表として遠征も始まった。それでも変わらないのは「楽しい」「好き」という気持ちだ。

普段は1日7時間かけて、スケートボードに向き合う。20年秋には自宅から5分の場所に専用練習場「サクラパーク」が誕生。1915年(大4)に創業した、地元岩出市にある老舗酒造会社「吉村秀雄商店」が、精米機を設置していた倉庫を無償提供してくれた。

「1人では無理なんです。家族だけでも無理だし、やっぱりみんなの協力があったから、ここまで来られました。『これ以上滑れない』というぐらい滑ってきた。結果だけを見ていたら、絶対に(成功に)つながらないと思う。だから練習。やったら後悔もないし、結果もついてくると思う」

何度も体を打ち付け、それでも「嫌いになったことはない」と断言したスケートボード。大好きな人たちに支えられ、大好きな競技で、真夏の東京に桜を咲かせた。