東京五輪日本代表のGK谷晃生(20)が、12日のホンジュラス戦に3試合連続で先発した。G大阪から湘南へ期限付き移籍2年目の20歳が、正守護神の座に大きく前進した。母真由美さん(52)はバレーボール女子の実業団・新日鉄堺の元選手で、父信賢(のぶよし)さん(53)も新日鉄(現日本製鉄)で応援部所属だった。両親は同じ会社の男子バレー部・中垣内祐一、野球部・野茂英雄ら五輪代表選手と同じ時代に青春を過ごし、今度は同じ舞台に息子を送り出す。【取材・構成=横田和幸】

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高3に進級する際に飛び級でG大阪とプロ契約を結んだ谷は、18歳で自動車運転免許を取得した19年2月、助手席に母真由美さんを乗せ、こう言ったという。

「お母さん、この距離をずっと運転してくれてたんだね、ありがとうね。この距離の送り迎えは、毎日は大変だったね」

この距離とは、自宅のある大阪・堺市とG大阪の練習場を結ぶ往復約80キロのこと。谷がG大阪ジュニアユース時代の約2年半、どんな時も母が練習場へ送迎した。電車などを乗り継げば片道2時間近くかかるため、息子の負担を考え、スーパーに勤める母は業後にハンドルを握った。

「私は決して苦に思ったことはなく、むしろ楽しんでいました。ただ、面と向かって晃生から感謝の言葉を言われたことはありませんでした。こんなことを言える、大人になったんだって。じーんときました」

3人の息子を持ち、特に谷はプロ予備軍のエリート選手だったために、母はサポートに徹した。その母を支えるために、会社員の父信賢さんは家事も担い、家族を支えた。谷家のモットーは、人を“応援”することにある。

170センチの母は名古屋短大付(現桜花学園)時代、高校バレーの全国大会に出場経験のあるアタッカーで、卒業後は実業団女子の新日鉄堺に進んだ。同社男子バレー部(現堺ブレイザーズ)の植田辰哉とは87年の同期入社。中垣内、真鍋政義の全盛期とも重なる。野球部の野茂英雄とも同期入社だ。いずれも新日鉄時代に五輪に出場したレジェンドたちで、結婚後に住んだ社宅でもバレー部の3人とは近所で親交は深かった。

「この記事を中垣内さんたちが読めば、私たちのことを思い出してくれると思います。植田さんには当時、私の子どもが190センチを超えたら新日鉄に入部させろと言われていました。野茂君とはプロ入り後、会ったのは2回ほどです。中垣内さんが今回、男子バレーの監督で東京五輪に出場するのも何かのご縁です」

父信賢さんは、新日鉄の一般社員で当時は応援部に所属した。1年後輩になる野茂の野球部が、88年から2年連続で都市対抗に出場。東京ドームでは信賢さんが応援リーダーを務めた。8球団競合の末に近鉄に進み、メジャーで活躍したのは今でも誇りだ。中垣内らの男子バレー、後に結婚する真由美さんを女子バレーの会場でも応援した。

信賢さんは「私はスポーツ観戦や応援するのが好き。野茂選手、中垣内選手らを応援し、妻を応援し、その妻は後に、晃生を最も身近で応援してくれ、本当に感謝しています」。真由美さんは「五輪代表は本人の努力が認められ、親としては誇らしいです。力を存分に発揮し、メダルが取れれば」とエールを送る。

谷は生後3カ月から、母がママさんバレーに励む体育館で過ごす時間が多かったという。五輪を身近に感じていた両親の“応援”を受け、今度は20歳で同じ晴れ舞台へ。谷家の青春が詰まった東京五輪になる。

◆新日鉄の黄金期 90年前後の新日鉄は隆盛を誇った。87年入社の野球の野茂は88年ソウル五輪で銀メダル獲得。男子バレーの真鍋は86年入社でソウル五輪、87年入社の植田と90年入社の中垣内はともに92年バルセロナ五輪に。引退後の植田は男子代表監督で08年北京五輪、真鍋は女子代表監督で12年ロンドン五輪銅メダルに。中垣内は男子代表監督で東京五輪に挑む。

◆谷晃生(たに・こうせい)2000年(平12)11月22日、大阪府生まれ。TSK泉北SCからG大阪ジュニアユース、ユースを経てプロ昇格。20年から湘南へ期限付き移籍。J1通算44試合。17年U-17W杯日本代表入りも、19年U-20W杯は肩の故障で落選。190センチ、84キロで守備範囲の広さに自信を持つ。家族は両親と2人の兄