東京オリンピック(五輪)日本代表MF相馬勇紀(24=名古屋)が20日、オンライン取材に応じ、出身地での南アフリカ戦へ思いをはせた。相馬は東京・調布市出身。味スタはまさに地元だ。

小学2年の時、味スタで東京ヴェルディ対名古屋の試合でエスコートキッズを務めた。ナイターで輝くピッチを見て「いつかここでプレーしたい」と夢を抱いた。1000円を握りしめ、プロのプレーを見に何度も訪れた。高校時代は、国体の決勝が味スタで、全国制覇を遂げた。当時の監督から「この中から五輪で活躍する選手が出てほしい。ここは通過点だ」と言われた言葉は今も覚えている。

相馬は三菱養和ユースから早大を経てプロに入った。高校時代までは世代別代表には無縁だった。だが、大学、プロでの活躍を通じ東京五輪世代の代表に招集されるようになった。

「東京五輪が決まった13年9月、その時から心の中で出ると思っていた。当時はまったく代表に関わりのない選手だった。大学で年代別の活躍を見たりしたら心折れそうなときもあった。あきらめないと思ってやり続けた結果」と振り返る。「呼ばなくちゃおかしいという活躍をすれば呼ばれる」と心に秘め、結果を残してきた。「あきらめずに続けたら目標はかなうといろんな方に伝えたい」と力を込める。

左サイドから敵陣深くえぐるドリブル、チャンスがあればゴール前に入る動きは、今や代表には欠かせないピースだ。

「今までやってきたことは間違ってないと思うし、過信でなく自信はある。そこをぶつけたい」一番はチームのために闘う姿を見せたい。攻撃の選手なのでアシストゴールを見せたいと思っています」と意欲を見せた。【岩田千代巳】