19年世界選手権覇者の楢崎智亜(25=TEAM au)が好スタートを切った。20人で争った予選を56・00点で2位通過し、5日の決勝へ駒を進めた。

1種目目のスピードで5秒94の好タイムを記録して2位発進。ボルダリングでも2位と安定していた。最終種目のリードは中盤で落下し14位となり「リードが全然良くなかったので、反省して、次に生かしたいです」。危なげなく予選を突破したが「かなり緊張していました」と振り返った。

スポーツクライミングとの出会いは10歳の時。幼稚園から習った器械体操を小4で辞め、「新しいこと」を探していた。クライミングジムに通い始めた兄の影響で競技にのめり込んだ。

「初めから木登りと同じような感覚でめちゃくちゃ楽しかった。運命だっと思った」

原点は遊びの木登り。幼少期から宇都宮市の実家近所にある高さ10メートル以上の木に無我夢中に上った。けがも日常茶飯事。骨折は「記憶にない」ぐらい何度もした。「自然と遊ぶのが大好きで、木の上で食べるお弁当も好きだった」。スポーツも万能で、まさに“遊びの天才”だった。クライミングと木登りの共通点でもある「自由に発想して登る楽しさ」を実感し、競技力向上のための研究にも熱が入った。

転機は高3の時。ボルダリングのW杯に初出場し「世界で勝てる可能性」を感じ、卒業後のプロ転向を決意した。しかし、医師の父は「2年で結果が出なければ辞めた方がいい」と厳しかった。プロ1年目は結果が残せず、「勝負の2年目」に才能が開花。得意のボルダリングで、16年のW杯年間王者と世界選手権の2冠を達成した。同年に東京五輪での競技採用も決まり、日本選手では無縁だったスピードの強化に着手。18年には既成概念にとらわれない考えで、スタート直後の左側ホールド(突起物)を飛ばして登る「トモアスキップ」を考案した。

“必殺技”を武器に今年3月のスピードジャパンカップ決勝では、自身が持つ日本記録を0秒07更新する5秒72をマークして優勝。当初2秒以上離れていた世界記録(5秒48)との差も0秒24まで縮まった。

コロナ禍では苦手を克服し、総合力をアップさせた。圧倒的な強さを誇る「歴代最強クライマー」を目指す25歳は「金メダルを目指して頑張りますので、応援よろしくお願いします」と締めくくり、夢の実現を誓った。【峯岸佑樹】

 

◆スポーツクライミング 東京五輪ではスピード、ボルダリング、リードの3種目複合で争う。スピードはホールドの位置が国際統一基準で定められ、2人で高さ15メートルの壁を登るタイムを競う。フライングは失格。ボルダリングは高さ4~5メートルの壁に多数のホールドが設置され、複数の課題(コース)に挑んで制限時間内の完登数を争う。壁の高さ12メートル以上のリードは制限時間内での到達高度が記録となる。複合の総合点は3種目の順位をかけ算して算出し、スピード5位、ボルダリング1位、リード3位なら「5×1×3」で15点。点数の少ない方が上位となる。24年パリ五輪ではスピードが単種目、ボルダリングとリードの2種目複合が実施される。