初出場の玉井陸斗(14=JSS宝塚)は、決勝で431.95点を出して7位だった。

午前の準決勝は413・65点の8位。決勝の舞台を前にして「1番の目標ではあるので、ここまでこれたなと思います。(決勝は)8位入賞までいきたい。上はいけるところまでいきたい」と意気込んでいた。

同種目の日本人最高は、00年シドニー大会の寺内健で5位だった。玉井にとって寺内はJSS宝塚の尊敬する先輩で「健コーチ」と呼んで、慕っている。玉井の決勝進出は寺内以来で、日本勢21年ぶりとなった。

玉井の自己ベストは、528・80点。その種目構成と同じ大技「109C」と「6245D(逆立ち後ろ宙返り2回2回半ひねり)」を入れて、戦っていた。

玉井は、兵庫・宝塚市内の高司中学校に通う3年。小学校の卒業文集では「オリンピックでメダル」と書いた。当初は24年パリ五輪を目標にしていたが、19年4月に日本室内選手権で12歳7カ月の最年少優勝を飾って、目標が東京に前倒しになった。自転車に乗ることや球技を楽しむことを控えて、競技に取り組んでいる。

飛び込みは、1904年セントルイス大会で五輪採用。日本勢は1920年アントワープ大会で初出場したが、過去にメダルなし。五輪初メダルは、日本飛び込み界100年の夢となっている。