【2度目の柿木蓮】プロ野球の世界が凝縮されたぶら下がり取材 不退転の覚悟にエール

選手の技術面に加え、人間性やドラマにも迫る田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」は、2月のキャンプ取材以来、期待のピッチャーが2度目の登場です。

プロ5年目で2018年ドラフト5位・柿木蓮投手(22=大阪桐蔭)です。今春、田村氏は沖縄・国頭の日本ハム2軍キャンプを訪れ、昨年オフに育成契約となった柿木投手にインタビューしており、今回は支配下登録を目指す現状を聞きました。

プロ野球

◆柿木蓮(かきぎ・れん)2000年(平12)6月25日、佐賀県多久市出身。多久市立北部小学校2年で野球を始める。佐賀東松ボーイズに所属していた中学3年で143キロをマーク。世界大会の日本代表に選出されている。大阪桐蔭では2年夏の甲子園3回戦の仙台育英戦に先発。3年春は背番号「1」。初戦、準々決勝、準決勝で先発したが、決勝の先発マウンドは根尾に譲った。同年夏の甲子園大会では吉田輝星の金足農との決勝戦で先発、完投して春夏連覇を達成した。18年ドラフト5位で日本ハムに入団。右投げ右打ち。181センチ、88キロ。今季推定年俸440万。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

イースタンで好投続く

4月23日のイースタン・リーグ、ロッテ戦の試合前に、柿木投手へのぶら下がり取材となりました。

5月14日現在、イースタンで13試合に登板して3勝1敗1セーブ。通算19回を投げて被安打14、3四球12奪三振で失点1、防御率0・47という好成績です。

昨年は1軍デビューしながら、オフに自由契約となり、23年は育成から支配下登録を勝ち取るための再スタートという位置付けになりました。

夏の甲子園2018年・第100回大会での優勝投手であり、決勝の相手で投げ合ったのは、日本ハムのチームメート吉田輝星投手(金足農)でした。春夏連覇した大阪桐蔭のチームメートからは中日根尾昂投手、ロッテ藤原恭大外野手、巨人横川凱投手がプロ入りしています。


田村氏昨日も投げてるね、調子がいいと聞きました。

柿木まあ、そうですね、0点で何とか抑えてはいますね。

キャンプ中のインタビューが縁で、ぶら下がりでも十分なインタビューになった。愛情が詰まった後半の「取材後記」は必読です=2023年2月3日、沖縄・国頭で(球団広報撮影)

キャンプ中のインタビューが縁で、ぶら下がりでも十分なインタビューになった。愛情が詰まった後半の「取材後記」は必読です=2023年2月3日、沖縄・国頭で(球団広報撮影)

田村氏キャンプの時に話を聞かせてもらって、今年は自分のペースでやると言ってましたが、変化はありますか?

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。