サッカー日本代表が悲願のW杯初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」から、16日で20年を迎えた。フランスW杯アジア最終予選プレーオフのアジア第3代表決定戦。歓喜に沸く日本の姿を尻目に、イラン代表は次なる戦いへ向かった。あの時、イラン国民は何を思い、感じたのか。イラン人の父と日本人の母を持ち、両国での生活を経験したお笑いコンビ、デスペラードのエマミ・シュン・サラミ(37)に話を聞いた。

   ◇      ◇

 漫才では、サラミがイランの民族衣装であるターバンを頭に巻いて登場する。サッカー経験者の父の影響もあり、幼い頃から日本とイラン両国のサッカーを見て育った。現在は芸人として日本人の武井志門とコンビを組み、自身のエキゾチックな風貌を生かし、中東情勢など時事ネタで笑いを誘っている。しかし、ターバンを外し、サッカーネタになると、ド真面目にしゃべりを展開した。

 ジョホールバルについて聞くと「自分からすると、『メルボルンの歓喜』というのがある」と切り出した。97年11月16日。アジア第3代表決定戦で日本に敗れたイランは、オセアニア予選1位のオーストラリアと戦う大陸間プレーオフに回っていた。「当時のイランはアリ・ダエイやアジジら海外で活躍する魅力的な選手が多くいたベストチーム。あの試合では、イランが後半に勝ち越したあと、イラン国内でも知られていた三浦知良や中山雅史が交代した。それで、もう大丈夫だと思っていた」。

 しかし、その後の後半31分に日本に同点に追いつかれ、延長戦で「当時はあまり知らなかった」という岡野雅行に決勝ゴールを決められた。「イラン国民はみんな日本に負けるとは思っていなかった。少し格下に見ていたんです。イランの親戚たちも驚いていました」。

 笑いは一切ない。身ぶり手ぶりを加えながら、昨日の出来事のように話を進めた。「大陸間プレーオフでオーストラリアと当たることは恐怖でした。イラン国民は国内リーグのほかに、衛星放送でプレミアリーグもよく見ていた。なので、当時プレミアで活躍する選手を何人も抱えていたオーストラリアには勝てる気がしないと勝手に思ってしまうんです。実際、国内では『勝てる可能性は低い』と報道されたりしていました」。

 そんな予想は、またも覆った。日本のW杯初出場決定の瞬間を見届けてから13日後、イランにとっても20年ぶりとなる歓喜の瞬間が訪れた。ホームアンドアウェー方式で行われたオーストラリアとのプレーオフ。2戦とも引き分けながら、アウェーゴールの差でW杯出場権を勝ち取った。「テヘランでの第1戦を1-1で引き分けて、もう終わったっていう雰囲気が流れていた。第2戦は早いうちに2点を先取されて、イラン人の父親はブチ切れてテレビのある部屋を出て行ってしまった。そうしたら試合終盤に同点に追いついた」。

 W杯出場権を獲得したイラン国内はお祭り騒ぎだったという。「初出場ではないけど、久しぶりのW杯だった。あの日から3日間は、イランの会社やレストランは全部休みになって、街でパレードしていましたね。イランの新聞には、囚人を運ぶ車の運転手がパレードに参加してしまって、乗っていた囚人がみんな逃げちゃったみたいな記事も載っていました」。

 サラミは9歳のころ、生まれ育ったイランの首都テヘランから家族で日本に移住。母の住んでいた北海道の帯広で生活を始めた。日本サッカーの悲喜劇は青春時代の記憶にも強く刻まれている。「(日本がW杯出場を逃した93年の)ドーハの悲劇の時は中学1年で、やっと日本語を覚え始めたぐらいのころ。日本が最終戦でイラクと引き分ける前に、イランは日本に勝っていた。結果としてW杯を逃す遠因にもなったということで、周囲の友達からは『日本がW杯に行けなかったのはお前のせいだ』と言われたり、全員から無視されたりもした。自分にとってはそれが悲劇でした」。

 それから4年後に訪れた「ジョホールバルの歓喜」のあとは、周囲の対応も変わった。「友達が優しくなりましたね。逆に気を使われる感じで」。

 日本生活の方が長いが、生まれ育ったイランへの思いは今でも強い。ハーフだが、コンビでは相方を日本人、自身を完全な「イラン人」に見立ててステージに立つ。「やっぱり昔から見ているので、イランへの思い入れはある。それに僕が芸人を始めたころは外国人だって名乗るのも嫌な時代だった。今はハーフ芸人とかがブームになっているけど、もうちょっと早くそれが来てほしかった」と苦笑いする。

 今では、野球は日本、サッカーではイランを応援している。「日本には野球やフィギュアスケート、柔道など世界で勝てるものがたくさんある。イランではサッカーを応援することが国民行事。大事な試合が時差で学校に行っている時間にあるときは学校も休みになります。(ジョホールバルの歓喜で)日本に負けた時はショックで休みになる会社もありましたね」。

 18年ロシアW杯のアジア最終予選では、イランと日本はそれぞれA組、B組を1位で突破した。この20年間で、サッカー日本代表に対するイラン国民の認識も変わってきたという。「今はイランでもアジアでは日本が抜けて強いという感じになってきている。06年ぐらいから僕の周りも変わりました。FIFAランクはイランの方が上かもしれないけど、今では日本とやるときは胸を借りるという意識で見ています。まだイランはグループリーグを突破したことがない。来年のW杯では、ベスト8を目指してほしいですね」。

 最後まで真剣な表情のまま語りきり、オチがつくことはなかったが、ロシアW杯での日本とイランの活躍が、新たなネタへとつながっていくのかもしれない。【取材・構成=松尾幸之介】

 ◆エマミ・シュン・サラミ 1980年10月25日、イラン・テヘラン生まれ。大学中退後に芸人を志し、02年にNSC(吉本総合芸能学院)東京校に8期生として入所。04年に同期の武井志門とデスペラードを結成。ボケ担当。趣味はサッカー観戦や野球、競馬。テヘランのプロサッカーチーム「エステグラル」の大ファン。12月8日に東京・新宿のルミネtheよしもとで行われる「レイザーラモンの世紀末DEATH漫才~こいつらテレビでできないネタばかりやりやがる!ヒャッハー!~」に出演予定。身長170センチ。血液型O。