16歳の誕生日、震災が発生した。2011年3月11日の東日本大震災から10年がたつ。北海道コンサドーレ札幌MF深井一希は、3月11日生まれ。今年で26歳。年を重ねていく誕生日は、日本人にとって、深井にとって忘れてはいけない日となった。サッカーができる喜び、命について思いを語った。【取材・構成=保坂果那】

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3月11日。深井はその日に特別な思いをはせる。「自分の誕生日に、たくさんの方が亡くなってしまった。亡くなった人たちの気持ちもしっかり受け継いで、自分が生きている間は一生懸命、何事もチャレンジして悔いのないようにやっていきたい」。まだまだ生きたかった人がたくさんいる。自分にとってはこの世に生を受けた日。だからこそ、思いを強くする。

あの日、札幌拓北高1年生だった。午後2時46分。校舎で感じた大きな揺れに、友人たちとふざけ合った。帰宅してテレビで見た津波の映像に、言葉を失った。10年たっても「すごく最近のように感じるくらい鮮明に覚えている」。その日、サッカーの練習に行ったかは思い出せないが、その映像だけは今も消えない。

サッカーを通じて全国に知人がいる。JFAアカデミー福島など、被災したチームには親交のある選手がいた。衣食住すらままならない仲間の状況に「自分たちだけサッカーをやっていていいのかなって思った」と当時の葛藤を振り返る。

震災発生から3カ月あまりの11年夏、メキシコで開催されたU-17W杯日本代表に選出された。大会では英語で「世界中の友達へ。支援をありがとう」と書かれたバナーを掲げて入場した。「会場にいた人がすごい大きい拍手で迎えてくれた」。日本はベスト8の大躍進。当時は「みんなで『自分たちが結果を残して日本を元気にしよう』って言っていた」。明るいニュースを届けたいという思いが、原動力になった。

13年にプロ入りし、深井は両膝を5度手術した。そのたびに不屈の闘志で立ち上がり、ピッチに戻ってきた。今季は10日の広島戦でリーグ戦初先発。ペトロビッチ監督体制では、昨季まで体の状態が万全でさえあれば、主力で起用されていた。「そこまでプレーが良くなくても使ってもらっていた。自分が出ている時にメンバーに入れなかった選手、ベンチの選手が一生懸命やっていたことを忘れてはいけない」と現状を受け止める。「サッカーができることだけでも幸せ」と心から感じるからだ。東日本大震災から10年の節目を迎え、より一層そう思える。

◆深井一希(ふかい・かずき)1995年(平7)3月11日、札幌市出身。7歳でサッカーを始め、札幌U-12、15、18と下部組織を経て、13年トップチームに昇格。同年3月20日J2第4節松本戦でプロデビュー。J通算150試合出場(J1通算88試合)。U-16、17、18日本代表を経験し、11年U-17W杯8強。177センチ、80キロ。利き足は右。既婚。