アビスパ福岡が、J参入28年目で初タイトルをつかんだ。

大会史上最多の6万1683人が詰めかけたアジア王者浦和との決戦。前半5分にMF前寛之(28)が先制、同ロスタイムにDF宮大樹(27)が追加点。浦和の反撃を1点でしのいで2-1。長谷部茂利監督(52)が就任4年で磨き上げた堅守速攻で、大輪の花を咲かせた。5年周期で昇降格を繰り返した「エレベータークラブ」が、悲願を成就して、優勝賞金1億5000万円を得た。MVPは、先制ゴールの前が選ばれた。

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ロスタイム8分を終えて歓喜が訪れた。長谷部監督は右拳を強く握った。ベンチから飛び出した選手らにもみくちゃにされる。指揮官は「華麗ではありませんでしたが、優勝する力をつけてうれしく思う。証明できた」と声を弾ませた。

長谷部マジックがさく裂した。前半5分、MF前が先制。リードを奪って自慢の堅守速攻を発動。カウンターで浦和ゴールに迫った。同ロスタイムには宮が追加点。ともにMF紺野の低く速いクロスからだった。屈強な外国人CB2人の足元を狙った練習通りの形だった。後半に山岸がPKを外して、1点差に詰め寄られたが、全員で死守。主将のDF奈良は「上手でもなくて、華麗でもなかったけど、全員が体をはって最後の最後まで。アビスパらしい戦いができて優勝できてうれしい」と男泣きした。

Jの巨人を撃破した。昨年度売上高は28億2900万円。売り上げ規模で18クラブ中16番目の福岡が、約3倍、トップ81億円2700万円の浦和を撃破した。

指揮官の手腕で「エレベータークラブ」が変わった。02年からJ2で4年、J1で1年の5年周期を繰り返した。通算20年で合計4度。20年に就任した指揮官は「結果で上回ったほうがいいチームなんだ」と、勝負に徹した。

現役時代はMFで司令塔だった。黄金期のV川崎でラモス瑠偉氏とポジションを争った。「頭いいんです。賢い」とラモス氏。だが福岡で同じサッカーはできない。「自分の理想はあるが、Jリーグで大活躍する選手は来てくれないので、最適なプレーモデルを選んだ」。戦術は司令塔抜きで強度高く、全員が走る堅守速攻スタイルを採用した。

異色の経歴を持つ。03年の引退後、プロゴルファー転身を目指した。05年には下部ツアーに3試合出場。神奈川・桐蔭学園時代の恩師、李国秀氏は「ゴルフは個人競技。独立して、1人の力でどこまでやれるか。1回やってみたんだろう」。他競技に触れて、サッカーを再確認。腹をくくって、指導者として戻った。

選手から親しみを込めて「シゲさん」と呼ばれる。携帯電話はスマホではなく「ガラケー」。川森会長は「(SNSなど)見ていないし、何も気にしてない」。今年から「長谷部文庫」をクラブハウス内に設置。自身で読んだスポーツ関連の本、選手にポケットマネーを渡して買わせた本が約50冊並ぶ。選手との距離を縮めた。すでに5年目の来季続投が決定。「歴史は変わったし、クラブは前進、上を目指す」。また新たな歴史を築く。【菊川光一】

◆長谷部茂利(はせべ・しげとし)1971年(昭46)4月23日、横浜市出身。サッカーは本郷小時にFC本郷で始める。本郷中-桐蔭学園高-中大。94年V川崎(現東京V)入り。川崎F、神戸をへて市原(現千葉)で03年に現役引退。J1通算183試合出場で6得点。06年に指導者に転身。神戸ヘッドコーチ、千葉監督代行などを務め、18年からJ2水戸、20年に福岡の監督に就任。173センチ、69キロ。血液型A。

◆アビスパ福岡 1982年創部の中央防犯ACM藤枝サッカークラブが前身。翌83年静岡中西部3部からスタートし、92年JFL2部優勝で93年JFL1部昇格。94年藤枝ブルックスとなりJリーグ準会員。95年福岡に本拠地を移し福岡ブルックスとしてJFL優勝。Jリーグ加盟を決め、アビスパ福岡に改称。「アビスパ」はスペイン語でスズメバチの意味。本拠地は福岡市ベスト電器スタジアムで収容2万2563人。

○…今季シャドーストライカーの位置で初先発したMF前がMVPに輝いた。前半5分、右サイドのFW紺野からの速いグラウンダーパスを受け、ペナルティーエリア内で合わせて先制点。その後、戦況に応じてボランチ→シャドー復帰と変幻自在の活躍。初優勝に「やっとこのチームに星ひとつつけることができた。これが始まりになるように、今日は素直に喜びたいと思います」と笑顔を見せた。

▽福岡MF紺野(2アシスト)「(先制点は)ひろ君(前)がつめている分、速いボールを通したら、うまくいった。上のクロスだと(浦和の)センターバックが強いので、ゴールキーパーとディフェンダーの間狙い。チームの狙いだった」

▽福岡DF宮(前半ロスタイムに追加点)「練習してきたことが大一番で出せてうれしい。サイコー!」

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