[ 2014年2月22日9時36分

 紙面から ]演技を終えた浅田は佐藤信コーチと抱き合う(撮影・PNP)<ソチ五輪:フィギュアスケート>◇20日◇女子フリー

 ショートプログラム(SP)の失墜から、フリーでの復活へ。集大成のソチ五輪を6位で終えた浅田真央(23=中京大)が見せた会心の演技の裏には、10年バンクーバー五輪後から学び、築いてきた佐藤信夫コーチ(72)との絆があった。今回が11度目の五輪だった日本フィギュア界の先駆者。新たな道を切り開いてきた恩師との歩みに迫る。

 名伯楽の語気を強めた声が、午前8時のリンクに響き渡った。「(SPの得点は合計点のうちの)まだ3分の1しか試合は終わってない!

 気合を入れないとダメだ!」。佐藤コーチが練習中に怒るのは久しぶりだった。それほど浅田の消沈ぶりは目立っていた。

 前日SPでボロボロになった。3回転半の転倒も含めて、全3つのジャンプを失敗。シニアで大会最低の16位に沈んだ。金メダルは絶望的に。感情が消えたように抜け殻になっていた。ほとんど眠れずに朝を迎え、珍しく練習開始に間に合わなかった。ジャンプにもミスが続く。同コーチは黙っていられなかった。

 そして練習後、今度は優しく、教え子の話を聞かせた。80年レークプラシッド五輪に出場した松村充は、期間中に体調不良で2日間寝込みながら、気合の演技で自己最高の8位に食い込んだ。「練習してきたことを信じれば大丈夫。何かあったら助けに行く」。その言葉に、浅田は「自分にできないことは絶対にない」と不安が消えた。赤飯を食べ、昼寝をしてリンクに戻ったときには、別人のように顔に生気が戻っていた。

 10年9月に師弟関係を結んだ。最初に伝えたのは「51%49%」の指導法だった。すでにその時、2度も世界を制した五輪銀メダリスト。意見も尊重するが、「平行線では困る。悪いけど僕はあなたを教える立場だから私の意見は51%、あなたの意見は49%で。それで手を打てるかな」と聞くと、「はい!」と元気な声が返ってきた。

 「51%の中の51%と続けていけば、いつか100%に近づくでしょ」。同コーチは真意を明かす。何度も訪れた米国のホテルが、資本が51%になったらガラリと内装が変わっていた。そんな経験に基づく、指導の信念。時間はかかるが押しつけることはしない。我慢強く、時には無謀な3回転半の挑戦も容認した。その気持ちを分かるからこそ、浅田も絶大な信頼を寄せた。その結晶がこの日の朝の出来事に集約されていた。

 浅田は今後について「今はこの後のことは考えていない」と話した。恩師は「やる、やらないは一言も聞いていない。まだまだ教えてあげたいことはたくさんあるんです」と孫のような教え子のことを思っていた。【阿部健吾】