国際サーフィン連盟(ISA)のフェルナンド・アギーレ会長は言う。

 「サーフィンが五輪に参加することは、我々だけでなく、オリンピックにとっても大きな意味を持つんです」。

 表情は自信たっぷり。その言葉には「サーフィンが五輪を変えてみせる」という思いが詰まっていた。


参加41カ国が持ち寄った砂を詰めたボックスの前で健闘を誓うサーフィン世界ジュニア選手権の日本代表
参加41カ国が持ち寄った砂を詰めたボックスの前で健闘を誓うサーフィン世界ジュニア選手権の日本代表

■宮崎・日向市での「前哨戦」

 3年後の東京大会で初めて五輪競技となるサーフィン。その「前哨戦」ともいえる世界ジュニア選手権が宮崎県北東部の日向市で行われている。日本では90年に宮崎と東京・新島で共催した世界選手権以来37年ぶりのISA主催大会。アギーレ会長は東京五輪・パラリンピック組織委員会や五輪会場となる千葉・一宮町の関係者らと会うなど、精力的に動き回っている。

 「サーフィンは競技とともにカルチャーも五輪に持ち込む」という言葉も印象的だった。国際オリンピック委員会(IOC)や大会組織委員会の「五輪に新しい価値を生む」という考えとも合致する。宮崎でアギーレ会長の話を聞き、この競技のパワーを感じた。

 「サーフィン文化って何だろう?」。そんな疑問に大会が答えてくれる。日向市駅前広場で23日に行われた開会式。41カ国、300人の選手は国旗を手に駅周辺をパレードした。選手が声援にこたえて市民とハイタッチ、一緒に写真を撮るような場面もあった。

 競技会場でも、選手と観客の距離が近い。他の競技の国際大会などでは選手の導線と観客の動線が交わることはないが、サーフィンには「観客と選手が一緒に楽しむ」という文化があるのだろう。ファンが気軽に選手に声をかけ、触れ合うこともできる。


サーフィンの世界ジュニア選手権開会式で宮崎・日向市民の声援を受けてパレードする日本代表チーム
サーフィンの世界ジュニア選手権開会式で宮崎・日向市民の声援を受けてパレードする日本代表チーム

■独特の文化「ビーチフェス」

 さらに特徴的なのは「ビーチフェス」と呼ばれる会場の雰囲気。浜辺にはステージが用意され、ロックバンドからハワイアンまで地元の人たちのショーが行われる。日向市伝統の「ひょっとこ踊り」も披露されていた。ステージ脇には「地鶏」や「チキン南蛮」の屋台が並び、そこにも人が集まっていた。

 会場にはサーファーだけでなく、家族連れの姿もあった。年配の人たちも日本選手の活躍を見守った。もちろん、日向市が「サーフィンの町」ということもあるのだろうが、その盛り上がりは想像以上だった。

 東京五輪の組織委や一宮町の関係者も、競技と競技会場を視察した。五輪本番ではセキュリティーの問題もあって、どこまで「フェス」ができるかは分からない。それでも、サーフィン競技の「実体」が見えたことは大きい。日本サーフィン連盟(NSA)関係者も「まず見てもらい、知ってもらうこと。少しでもイメージが共有できれば」と大会準備に向けて話した。

 アギーレ会長は「五輪競技になるために、長く準備をしてきた」という。就任23年目、37歳でISAのトップに立ち、国際オリンピック委員会(IOC)と協議を繰り返してきた。NSAの酒井厚志理事長も「詳細は、会長とIOCが話し合っている」と説明した。

 3年後、これまで見たこともない「五輪競技」が千葉・一宮町で行われることは間違いない。【荻島弘一】

 ◆荻島弘一 東京都出身、56歳。84年に入社し、整理部を経てスポーツ部勤務。サッカー、五輪などを担当し、96年からデスク。出版社編集長を経て、05年から編集委員として現場取材に戻る。

男子18歳以下1回戦を圧勝した小笠原(左)は出迎えた大音とタッチをかわす。中央は主将の西
男子18歳以下1回戦を圧勝した小笠原(左)は出迎えた大音とタッチをかわす。中央は主将の西
サーフィン世界ジュニア選手権開会式後、会場練習をした日本代表U-18ガールズクラスの川合美乃里(左)と加藤里菜
サーフィン世界ジュニア選手権開会式後、会場練習をした日本代表U-18ガールズクラスの川合美乃里(左)と加藤里菜