蒸し暑いジャカルタの夜、日刊スポーツのアジア大会(9月2日閉幕)取材班で「eスポーツ」が話題になった。閉会式後に集まって食事をしながら、それぞれの大会取材について、振り返っていた時のことだ。

東京本社の同僚記者が、公開競技だったeスポーツの人気サッカーゲーム「ウイニングイレブン(ウイイレ)」を取材した話を切り出した。日本代表の杉村直紀(22、プレーヤーネームはSOFIA)と相原翼(18、同レバ)のコンビが、金メダルを獲得していた。

「初代王者をたぐり寄せるゴールを決めると、相原はシャツ左袖に刺しゅうされた日の丸をつかみ、観客をあおった」-。そんな書き出しから始まるアジア大会の記事が、日刊スポーツにおけるeスポーツ初の「ヒーロー原稿」となった。

何もかもが新しいeスポーツ取材。同僚記者の話を聞いていると興味深くなり、9月18日、近大に通う杉村を訪ねた。目的は毎週水曜付の日刊スポーツ(東日本版)に掲載している、東京五輪特集面「300人リレーコラム」の取材だった。写真用の赤のバトンを用意し「この間はサッカーの(なでしこジャパンFW)岩渕真奈選手にも登場してもらった」という話をすると「えっ! むっちゃテンション上がります!」と喜ぶ大学4年生。率直に「普通の大学生なんやな」と思い、ほほえましかった。

大阪府生まれの杉村にも「普通の人生」を送ってきた自覚がある。小4から地元のチームでサッカーを始め、中学3年間はソフトテニス部に所属した。吹田東高サッカー部では、主にボランチ。近大経営学部には「サラリーマンになるにはいいかな」という、ざっくりとした考えで入学した。

「高校まで他の人と違ったことはしたことがなくて、本当に普通の人生を送ってきたんです。でも、大学に入って、みんながいろいろな目標を持って生きているのを見て…。『俺って何しに、この大学に来たんやろう』って考えたんです」

そんな杉村が偶然見つけたのが、ウイイレ優勝賞金20万ドル(当時2300万円相当)の広告だった。周囲の友達を相手にすると、昔から強い自信があった。「これや!」。塾講師や派遣のアルバイトでお金をため、1年秋に「プレイステーション4」を買った。わずか3年前に足を踏み入れたeスポーツの世界で、18年5月には世界選手権で優勝するまでになった。

練習場所は自宅。一日中ゲーム漬けかと思えば、意外にも「ゲームの集中力は1時間半。そこでいったん休憩して、またやるぐらい」と1日3時間程度という。3年までに単位もきっちり履修し、休日はパナスタ(吹田市)のゴール裏で大好きなG大阪を応援する。

小5だった07年、ナビスコ杯(現ルヴァン杯)決勝のガンバ大阪-川崎フロンターレ戦でエスコートキッズを務め、4万1569人が集った東京・国立競技場のピッチに立った。間近で見た当時の日本代表MF遠藤保仁(38)に目を輝かせ、サッカーに対する愛は深まった。今の立場となり「eスポーツでも、遠方から『あの選手を見に行きたい』という風になればいいな」と考えるようになった。

eスポーツの五輪種目に向けた動きには、賛否両論ある。否定的な意見の大半は「ゲームはスポーツではないだろう」という点だろう。私自身もまだ自分の明確な意見を持てないでいるが、今回の杉村の話で印象的な言葉があった。

「eスポーツはメンタルのスポーツだと思っています。オンライン対戦でいくら強くても、eスポーツとして対面で試合をすると、そうでなくなる人もいる。相手の表情、会話の数、さりげないしぐさ…。例えば相手がイライラしていれば、あえて長い時間、ボールを持って引きつける。その駆け引きが、面白さだと思います」

「普通の人」の面影を残しつつも、アジア大会では選手村で生活をし、ドーピング検査に注意するようレクチャーを受け、表彰台の頂上で君が代を聞いた。アジア、世界を制した男は柔和な表情で、eスポーツへの感謝を口にする。

「僕はサッカーがうまかった訳ではなく、近大に入った時点では、こんなことになるとは思っていなかったです。そんな人間でも自分が得意なことを見つけて、頑張るということを知りました。卒業後もeスポーツ関連の仕事をします。今の日本ではまだ、プロとして飯を食っていくことはできませんが、何かその環境づくりにできることがあればと思っています」

eスポーツも、他のスポーツもやるのは「人」。そこには1つのものに打ち込む熱い思いと、それぞれの人間ドラマがある。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技を担当し、18年平昌五輪では主にフィギュアスケートとショートトラックを取材。