遅咲きの女子レスラーは男子校に通っている。
女子レスリングの最重量級の顔と言えば長く浜口京子が担ってきた。「気合だ!」の父アニマル浜口氏との絶大なインパクトに、国際大会の活躍も備えて、世間に広く認知されてきた。では、今は?
皆川博恵(31=クリナップ)、旧姓は鈴木博恵。日本一を決める全日本選手権では毎年のように浜口に挑み、そして跳ね返されながらもマットに踏ん張り続け、ついに30歳にして世界選手権で初めてのメダルを手にした少し人見知りな女子レスラー。それが皆川だ。
17年の世界選手権、女子76キロ級銅メダルの表彰台に上がると、外国勢に比べて162センチの小柄が際立った。それは翌年、再び3位で上がった台でも同じだった。他競技も含めて、世界選手権で2連続メダリストとなれば一躍脚光を浴びる結果だが、本人に言わせれば、「重量級は軽量級に比べて成績が思わしくない」となる。日本における女子レスリングの地位確立は吉田沙保里、伊調馨らの軽中量級までの金メダル量産でなされたため、銅メダルという好成績も相対評価の中でわずか輝きを失ってしまう。それは皆川も理解している。
慢心も満足もなく、だから、来年に迫る東京オリンピック(五輪)での頂点に向けて、変わらず通い続ける場所がある。東京目黒区にある自由が丘学園高、男子校だ。千葉県の自宅から電車を乗り継ぎ、1時間以上かけて夕方の部活に合流する。17年11月に元選手だった拓也さんと結婚して、「通学路」は遠くなったが、ここが力の源。「生徒も入れ替わってますね、もう6年目かな」と高校生とマットでぶつかり合う。
世界的にも共通の事情だが、女子重量級の万年の悩みは競技人口の少なさにある。日本主導のもと、5月にフィンランドで10カ国以上の該当選手が集合する画期的な「国際重量級合宿」が開かれたが、五輪金メダリストなどがそろった密度の濃さは、逆に相手不足の需要の多さを示していた。ここにも参加した皆川だが、国内に戻ればいつもの不足が待つ。解消方法が高校生男子レスラーだった。「女子に負けるわけにいかないという感じで。そこで私も引かない」。良い意味での遠慮の無さが向上を導く。
リオデジャネイロ五輪代表を逃し、引退も頭をよぎったこともあった。ただ、周囲からの続行の勧めも後押しに、ついに世界の表彰台までたどり着き、いまはその先を臨む。「いまは外国勢に瞬発力で勝負してはいけないと思っています。やはり筋肉の質も違う」。体格差を埋めるために最大長所の6分間動き続ける体力も、男子校で培ってきた。もともと京都で育った自宅には高校でレスリングを指導していた父の教え子が同居し、歩く前から高校の練習場の上で遊んでいた。大きくなっても男子と練習することは日常だった。今日に続くそんな継続。
いま、常に考えていることがある。「京子さんは練習量もすごかった。そういうのを見ているので、年齢はきましたが、合宿とかで練習している姿を見せた方がいいのかなと。自分が頑張っていたら他の子もやらないといけないなと思うのでは」。壁であり続けた浜口の姿が鮮明に記憶に残り、それは使命感となって体を動かす。一層、サボれない、サボらない。その律する精神こそは、一度も五輪の頂点には立てていない日本女子重量級の悲願へつなぐバトンだろう。
6月13日からは全日本選抜(駒沢体育館)が開幕する。9月には世界選手権(カザフスタン)も待つ。東京五輪まで残る日々はどんどん少なくなる。「けがもあるし、反射神経も遅くなっている。でも、そんなに長くできないから、1日1日、練習に対する思いが違いますね。やらされている感じが前はありましたが、いまは自分で考えています。けがすれば休むことにもなるし、考えてますね」。だから、皆川は今日も一歩も引かず、全力で高校生と対峙(たいじ)する。【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)
◆皆川博恵(みながわ・ひろえ)1987年(昭62)8月19日、京都府生まれ。立命館宇治高のレスリング部監督だった父秀知さんのもと、幼少期から競技を始める。同高から立命館大に進学し、クリナップに就職。17、18年世界選手権銅、18年アジア大会2位、全日本選手権は4連覇中、全日本選抜は5連中。162センチ



