開成中学-開成高校-東大のエリート街道を歩んできた。仲間には一流企業、官僚、弁護士の道などに進んだ人間も多い。しかし、市川誠一郎(39)は、東大を出た25歳からプロテニス選手を目指した。テニス一筋の人生を送って14年。今年5月、初めてダブルスの世界ランキングを獲得できた。
現在の年収は約250万円。高校、大学の同級生には、数倍の年収を稼ぎ、都内のタワマンに住んでいる人も少なくない。
「すてきなマンションに住んで、すてきな奥さんと暮らしてますよ。遊びに行ったこともあります。でも、幸せがどうかといったら、それは分からない。やりたいことをやってる方が、僕にとっては、はるかに幸せなんです。毎日地獄のような練習だったとしても」
もともと、普通の常識とは無縁だった。開成中に入ったのも「単純に勉強で日本一になりたくて、親から止められても勉強してた。官僚になろうとか、有名企業に入ることなど考えたこともなかった」。開成高校時代はスポーツの部活には入らず、バンド活動にいそしんだ。東大では現代音楽のピアノ曲を作曲。卒業後はパリに音楽留学も決まっていたが、その時、ふとある思いが浮かんだ。
「白黒がつく世界ではない音楽で生きていく自信がなくなった。白黒がはっきりつく世界は何だろうと考えて浮かんだのがスポーツだった」
勉強で1番になりたくて開成中に入ったように、スポーツでも1番を目指す。個人競技でメジャースポーツの中から選んだものがテニスだった。
まずは当時住んでいた横浜市内にあった初心者用のテニスクラブに通った。平日は午前9時、土日は午前8時からクラブの営業終了となる午後10時までコートにいた。2年目からは神奈川・藤沢市内にある競技志向のアカデミーにステップアップしたが、そこに地獄が待っていた。
アカデミーには小学、中学生のトップレベルの選手がいた。当時、その子供たちにも全く歯が立たない。コーチからは怒鳴られ、小中学生の前で「こいつみたいには絶対になるなよ」とさげすまれた。2時間のレッスン中、球を打つのは10分で、ずっと走らされたこともある。こんな地獄が5年間続いた。
「毎日辞めたいと思っていた。アカデミーの200メートルくらい手前で引き返そうと思ったことは何度もあったし、死んじゃいたいと考えたこともあった」
苦難を乗り越えたのは、捨てた音楽の恩師への思いだった。パリへの音楽留学のお世話をしてもらいながらドタキャン。無謀ともいえるテニスの夢を追いかけ始めた。
「恩師を裏切った。初心者からプロを目指すという、ふざけたにもほどがあるような理由で。それできつかったら辞める、音を上げるというのは筋違い。自分で決めて始めたんだろと。そう自分に言い聞かせた」
転機があった。2014年11月。日本スポーツ振興センター(JSC)主催の東京オリンピック選手の発掘を目指した合同トライアウトに応募。最終選考に残り、一部メディアにも取り上げられた。その反響もあり、用具提供で初のスポンサーも獲得した。
国内の試合で勝つことも珍しくなくなってくると「本場の欧州でテニスをしたい」との思いが募る。ただお金はない。友人、知人に電話をかけまくり、10社以上から約450万円のスポンサー料を得た。2016年4月、スペインのバレンシアに向かった。
「向こうは昼寝があるから昼休みも3時間くらいある。でも自分は5分、10分で飯を食べて、すぐにコートに立った。土日も一日中、球を打った」
家賃2万円で、大学生とのシェアハウスで暮らすなど、節制した極貧生活も、大好きなテニスがあれば苦にならない。遊びに出たのは、自転車で行ける距離にあった海岸くらいだった。
1度帰国後、20年9月からは4大大会最多23回の優勝を誇るジョコビッチらを輩出した強国セルビアに渡った。どこにいてもテニス漬けの生活は変わらなかった。
「もうテニスのこと以外はまじで、何も考えてない。テニスに全部の時間を使おうと思っていて。女の子と遊びに行きたいくらいは、ちょっとは思うときはありますよ。でも行動に移す気持ちはありません。お酒も嫌いではないですが、次の日の練習を考えると、飲む気はしない」
今は毎週のように、ITF(国際テニス連盟)ツアーが開催される、北アフリカのチュニジアに拠点を置く。5月にはダブルスで初めて世界ランキングを獲得した。現在2081位。
「勝った瞬間は叫びましたよ。25歳から14年ですから、感慨深かった。でも翌日からは普通に練習してました。夢は4大大会出場。まず、次はシングルスで世界ランキングを取りたい」
40代も見えてきたが、体力の衰えを感じることはなく、引退を考えたこともない。
「まさか39歳までテニスを続けられるとは思っていなかった。大きなケガもない。フェデラーも40歳を過ぎて世界トップ10にいましたしね」
開成-東大から25歳でプロテニス選手を目指した、規格外の人生に、まったく後悔はない。
「今が超充実している。毎日、たくさん練習できて、毎日ガンガン成長できて。だから息抜きなんて必要ないんです。何歳になっても挑戦はできる。覚悟は必要で、確かにきついこともあるけど、やればできるということは伝えたい」
39歳の常識を超えた挑戦は、まだまだ終わらない。【田口潤】
◆市川誠一郎(いちかわ・せいいちろう)1984年(昭59)5月18日、千葉市生まれ。開成中高を経て東大。中高時代のスポーツ経験はほぼなしだが、25歳からプロテニスプレーヤーを目指す。5月にチュニジアで行われたITFツアーでダブルスの世界ランキングを獲得。6月26日現在、男子ダブルスで2081位。180センチ、73キロ。右利き。
(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)