チェコ出身の元幕内で、軽量な体格ながら多彩な技を繰り出して人気を集めた西幕下6枚目の隆の山(31=田子ノ浦)が12日目の24日、日本相撲協会に引退届を提出した。

 「自分の相撲が取れなくなってきた。体力も尽きた。相撲を取りたいけど、取れる位置と取りたい位置が違う。関取として相撲を取りたいので、できなくなった以上は仕方ないです」と決断の理由を話した。

 チェコ初の力士として、01年九州場所で初土俵を踏んだ。脂肪が付きにくい体質のため、入門時の体重からほとんど増えず、もっとも重くて110キロ。現在は95キロを切っていた。「今までどれだけ食べても体重が増えなかった。食べなくてもやせなかった。増えないし減らないのは、お相撲さんとしては苦しい」と胸の内を明かした。

 それでも、好きな言葉という「努力」と「我慢」のたまもので、入門から10年たった11年5月の技量審査場所で勝ち越すと、翌名古屋場所で悲願の新十両に昇進。さらに翌秋場所で新入幕を果たした。

 思い出の相撲には2点挙げた。「1つは、十両昇進を決めた天鎧鵬(当時南)との相撲。あれだけでかい人をうっちゃれたことは信じられない。もう1つは(12年2月の大相撲)トーナメントで白鵬関に投げられたことです。本場所で届かない位置にいる人。横綱と相撲を取ることができたのはうれしかった」と振り返った。

 日本人の妻と娘がいるが今後は一緒に母国チェコに戻って暮らす予定だという。断髪式などは未定。引退会見では涙をこらえながら「自分で決意して相撲界に入って、夢を持って土俵に上がった。関取になる夢をつかんでうれしかったし、13年間、自分の夢のために頑張ったので、楽しかったです」と相撲に感謝していた。