<センバツ高校野球:大阪桐蔭7-3光星学院>◇4日◇決勝

 なにわのダルビッシュが登板5試合すべてで150キロ以上をマークし、頂点をつかんだ。大阪桐蔭が光星学院(青森)を破り、センバツ初優勝。高校ビッグ3の中で唯一勝ち残った藤浪晋太郎(3年)はこの日も最速150キロをマーク。98年春夏連覇の松坂大輔(横浜)05年夏の田中将大(駒大苫小牧)に続く大台超えの優勝投手となり、高らかに春夏連覇をぶち上げた。

 勝ってまだ、道半ばだ。ウイニングボールの行方を追い、両腕を広げた。背中から捕手の森に抱きつかれ、白い歯を見せて力を抜いた。試合後のお立ち台では「最高です!」と絶叫した。だが興奮は、そこまでだった。

 藤浪

 春勝っても、夏勝たなければ意味がないんです。

 紫紺の大旗をつかんだその日、もう深紅の大優勝旗を追いかけていた。

 光星学院との対決。序盤は田村に打たれ、北條につかまった。だが、不調を不調で終わらせない。7回からは走者不在でも、体が開かないようにセットに切り替えた。さらに「中盤以降は体の力を抜いて、腕をしっかり振っていこうと思って投げました」。今大会初めて2ケタ12安打を浴びながら、後半は追加点を許さなかった。

 宮山台中時代、ボーイズ大阪泉北のOB戦で大学生を抑え込んだ。高校では1年夏からデビューし、2年春には1番を背負った。成長の速度は、1年目は体づくり優先と決めた西谷浩一監督(42)の予想を超えていた。手が届かなかったのはここ一番の絶対勝利。昨夏の大阪大会決勝でサヨナラ負けし、昨秋の近畿大会準々決勝では天理(奈良)に逆転負け。センバツ当確をともせなかった。

 昨年末の面談。西谷監督に「センバツに出ることが出来たなら、人生を左右する大会になる」と言われた。同時にエースの自分は、仲間の人生をも動かすことを悟った。

 初めて1番を背負った昨春の大阪府予選。母明美さん(47)に「先輩がケガされて1番になったけど、自分の力で勝ち取ったわけじゃない。でも相手はエースと思って挑んでくる。頑張らないと」と手紙で明かした。まだ不安が先に立った。それが今大会開幕前。「背番号1の責任がある。責任を持ってセンバツは投げる」と母に告げた。エースの責任を果たし抜いた。

 春では松坂(横浜)以来の150キロ優勝投手になった。「松坂さんは、西谷監督が唯一この投手はどうしようもないと思われた、と聞いた。それなら夏は松坂さんのような投手に僕がなります」。ビッグ1へと上り詰めたその日。春夏の戴冠へ、藤浪はスタートを切った。【堀まどか】

 ◆150キロ投手の優勝

 スピードガンが普及した80年以降、全試合150キロ以上を出して優勝した投手は藤浪が初めて。150キロ以上をマークした大会で優勝した投手は98年春夏連覇の松坂大輔(横浜)05年夏の田中将大(駒大苫小牧)がいるが、松坂は春決勝(対関大一)で最速145キロ、夏決勝(対京都成章)で同146キロ。田中は2年の夏に決勝の京都外大西戦で150キロを出したが、他の試合では150キロ未満だった。