両側声帯ポリープ手術による休養から復活した歌手May’n(25)が26日、東京・日本武道館でデビュー10周年記念公演を開き、日刊スポーツなどの取材に応じた。

-のどの具合は

 May’n すっかり、本当に良くなって、この10年でベストのパフォーマンスができるんじゃないかという、たくさんの自信を持って挑めました。

 -違和感はあった

 May’n 何年も前からポリープはあると言われていたんですけど、そんなに問題はないとも言われて、ずっと活動も続けていたんですけど、どんどん積み重なって悪化した。今は手術もしたので、全く違和感もなく大丈夫です。

 -歌いたくてしょうがない気持ちで迎えた、武道館に立った思いは

 May’n アコースティックツアーの途中で中止してしまって、療養に入ったので…。自分自身で決断しましたし、まだまだやりたいという思いはあったんですけど、さらに悪化してしまったら、歌が歌えなくなってしまう…という恐怖から、泣く泣く(ツアー中止と休養の)決断をして。自分自身で決断するからこそ、自分自身で明日を壊してしまうかもしれない、という不安もあった。皆さんの応援のおかげで無事、復帰することができて、歌いたい、歌いたいと思って毎日願っていた明日というものが今日、こうやって来ることができて、うれしく思います

 -何で10周年の年に、ポリープで休養なんてことになるのか…と思わなかった?

 May’n すぐ思いましたね…何で、今なんだろうという気持ちで。アコースティックツアー自体もすごく力を入れてやっていた。東京と岩手の公演が終わり、ここから各都市へ行くというタイミングで(歌を)もっともっと届けたいのに、という思い…今でも悔しい思いは消えないですね。

 -歌う感覚は、取り戻せた

 May’n 1番最初に声を出した時は、のどの体力がなくなってしまった感じがあったんですけど、療養中もジムには通っていたので、今は元通りというか、それ以上になれたんじゃないかと思います。10周年のタイミングで、自分が一番、後悔のないベストなタイミングでパフォーマンスができたのは、良かったと思います。

 -実際に声を出してみたのはいつ

 May’n 3週間、しゃべれませんでした。術後は(医師から)全く声を出してはいけないと言われました。日常会話が解禁になったのは、ちょうど1カ月前くらいですね。連続で話せるのは10分だったので、10分しゃべって休憩というのを繰り返していて。歌は、その1週間後くらいで…最近と言えば、最近ですね。

 -会話が禁止の頃、コミュニケーションは

 May’n 療養中は名古屋の実家に帰っていたんですけど、家族とは筆談やLINEで会話していましたね。

 -アコースティックツアーを中断して、行けなかった場所には、あらためて行きたい?

 May’n もちろん、そうですね。行けなかった場所には、必ずいつか回りたいとスタッフさんに相談しています。

 -手術以前と比べて、良くなったところは

 May’n ここ最近、しゃべる声に違和感を覚え始めていました。すごくハスキーな低めの声になっていて…でも、それは単純に10年活動してきているので、年齢もあるのかなと思っていたんですけど、手術をしたら、10代の頃の、つやっとした声に戻りました(笑い)歌声も、ハイトーンもすごく出るようになりましたし、のどが良くなったことで、私も自分自身のパフォーマンスをあらためて見つめ直そうと思って、ボイストレーニングもやってもらいました。

 -本名の中林芽依時代の曲をこのタイミングで歌った理由は?

 May’n もともと、10周年に向かって…という活動をやっていたんですけど、本名時代の楽曲は(現所属の)レコード会社と違うので、なかなか歌うことができなかった。でもファンの皆さんから『10年だから、いつか聴きたい』と以前からたくさんいただいていて、ベストアルバムを出させてタイミングで、ぜひ歌いたいとスタッフさんに言って、夢がかなった。今日、ぜひ歌いたいと思いました。

 -ファンのエールは

 May’n 5月末に(休養を)お伝えして、8月末の武道館に復帰すると言ったら『もっと、もっと待てるから、自分の納得できるまで完治してから復帰して良いんだよ。何年も待つから』と言ってくれたことが、逆に安心感になって、1日も早く仲間に会いたいという気持ちで頑張ることができました。病院の先生にも『こんなに早く治る人は珍しいこと』と言われるくらいのスピードで良くなりました。

 -ファンの前で歌うにあたって緊張は

 May’n メチャクチャ緊張しました。何日も前から涙が出てきて、あと何日…あと何回歌いたいと思ったら(8月)26日が来るのかなって。世界中で多分、私が一番、今日8月26日を楽しみにしてきたんじゃないかと思います。オープニングで泣かない、泣いちゃしょうがないというのが目標でした。

 -この先のビジョンは

 May’n ずっと歌が歌いたいと思って歌手を目指して、とにかく歌うことが好きで、ずっと音楽と一緒に暮らしたいと思って、歌手を夢見て、かなえることができた。(08年に本名の中林芽依)May’nになってから、1人で歌いたいんじゃなく、みんなで一緒に歌うライブが好きなんだなと、いつも感じさせていただいている。ライブができない状況で、やっぱり仲間に会いたくてしょうがなくて…これからも、たくさんのライブを軸に活動していきたい。今回も療養で、あらためて、のどのことを教わった。今までは自分の気が張っていて『私は大丈夫、ちょっとくらい疲れても、いける』みたいな、自分の体をロボット並の超人みたいに思っていた。でも、自分の体に優しくなることで、うまくいくんだということも分かった。これからは、自分の体に優しくいきたい。

 -のどのケアは

 May’n すっぱいものと炭酸(飲料)は、のどに直接、悪いということじゃないですが、それによって、げっぷが出て胃酸が出やすくなるのが良くないと言われました。ツアー中の過ごし方を見つめ直すきっかけになりました。

 -10周年で1番印象に残っていることと目標

 May’n 本名から活動して、なかなかうまくいかなくて、だんだん歌う機会も減ってしまった中で(アニメ)『マクロスF』のお話をいただいて、May’nに名前が変わった。その時から生活もガラリと変わって、たくさんの方とワンマンライブを開かせていただくようになった。今後の10年は、ライブをずっとしていきたいと思っている。その中で、今のままではすごく難しいですし、頑張らないといけないことですけど、地元のナゴヤドームでライブするのが私の一番の夢。頑張っていきたい。

 -海外のファンへ

 May’n 今日も飛行機で来るなど、海外の方からたくさんメッセージをいただいています。日本と同じように活動し、(歌を)お届けしていきたい。ベストアルバムも、台湾でのリリースが決定しました。

 -ライブ後にしたいことは

 May’n ジンジャーエールをグイッと飲むことです。お酒とか、あまり飲まないんですけど、私は何よりも好きなんです。だけど、酸っぱいものや炭酸は、絶対にこの何カ月かは控えようと。今回、できることは何でもやろうと思っていました。