日本テニス界の戦後初のプロ選手として活躍し、9日に腎盂(う)がんのため死去した石黒修さん(享年80)の通夜が13日、東京・渋谷区の聖ドミニコ・カトリック渋谷教会でしめやかに営まれ、息子の俳優石黒賢(50)が亡き父をしのんだ。

 8日に兄実さんと見舞い、「明日も来るからね」と病院を後にした後、修さんの容体が急変した。「午前5時前に(病院から)連絡をいただいたんですけど、残念ながら私も兄も死に目には会えなかった。突然だった。覚悟はしていたけど、もうちょっと頑張ってくれるかなと思っていた」と、最期を看取れなかった無念さを募らせた。

 石黒によると、修さんは13年ごろにがんが見つかった。腎臓の摘出手術を受けて回復したが、今春に再発。肺、肝臓、脳に転移していることが分かり、「長くないかもしれないという話だった」(石黒)という。それでも、家族に苦しむところを見せたことはなかったといい、「痛みに苦しむとか、つらいとかは(なかった)。我慢強かったのかな。家族の前では言わなかった」と、3年間の闘病生活の労をねぎらった。

 父にならい、学生時代からテニスをしていた石黒が、83年にTBS系ドラマ「青が散る」で俳優デビューするきっかけをつくったのは修さんだったという。大学のテニス部が舞台で、修さんが知り合いの制作陣から相談を持ちかけられていた。石黒は「(修さんに)『読んでみろ』と原作の本を渡され、『これがドラマにするらしいけど、出てみる気はあるか?』と言われた。俳優になるなんて思ったこともなかった。その後、プロデューサーさん、ディレクターさんにお会いして、ドラマに出たのがきっかけでした」。試合に向け、周到な準備をしていた修さんの背中を見て、「役者も準備をして臨むんだと、経験を重ねていくと、テニスと相通ずるものがあると思った」と感謝した。

 この日は元プロテニス選手のスポーツキャスター松岡修造ら、600人が参列した。「亡くなって初めて、メディアの方が書いてくださって、テレビでも取り上げてくださって…すごいおやじだったなと思います」と、目に涙を浮かべて話した。