16年に映画「百円の恋」(14年)で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、NHKドラマ「佐知とマユ」(15年)で市川森一脚本賞を受賞した脚本家の足立紳氏(43)が、20年越しの思いを実らせた初監督映画「14の夜」が同年末、公開された。足立監督が日刊スポーツの取材に応じ、「14の夜」への思い、今後の脚本家&映画人生について思いを語った。

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 「百円の恋」の脚本が、12年に山口県周南市で開催された周南「絆」映画祭で第1回松田優作賞を受賞し、映画化され、14年に公開されてから、足立監督の名前は一躍、全国区となった。それまでは仕事が来なかった日々もあったというが、今は脚本に加え、小説の執筆にも取り組むなど多忙な日々を送っている。それでも、柔和な笑みを浮かべて「仕事が来るのは、すごいありがたいですね」と語る人柄は変わらない。

 -どの作品も身近な人々が生きる物語

 足立監督 結局、身近なものしか書けないということ。宇宙がどうとか、そういう映画も好きですけど頭が良くないと書けない(苦笑い)。

 ◆登場人物に厳しい本を書く理由とは

 -脚本に出てくる人物は、格好悪いキャラが多い。でも、格好悪くても生きていていいじゃんと思える

 足立監督 山田太一さんが好きです。山田さんの脚本は「ふぞろいの林檎たち」もそうですけど、格好悪い人しか出てこない。格好悪い人たちへの視線が9割厳しくて、1割優しい感じがするんです。格好悪い人を登場人物にする映画、ドラマはいくらでもあるんですけど、作り手が登場人物に優しすぎると思うんですよ。山田さんの脚本は、ダメな人には、甘ったれて生きてきたんだから厳しくいかなきゃダメなんだ、という思いがある。俺は自分自身に甘々で生きてきたんで、登場人物に申し訳ない感じもするんですが、自分に厳しくできなかったのを、登場人物に押しつけているところはあると思うんですけどね。

 -でも、監督の脚本の登場人物は、ダメだと気付いたところから、もう1回上っていく。そこが優しさであり、世の中に受け入れられているところでは?

 足立監督 簡単に上ることって、できないですけど、上るために取りあえず第1歩を踏み出すのか、踏み出さなきゃいけないんだぞと思う程度にするんだったらドラマでできるんじゃないかと。

 ◆相米監督に「頑張った」と言えない

 -今後は

 足立監督 もちろん、シナリオの仕事は続けていくんですけど、小説にしろ、監督にしろ続けていきます。小説は、相米さん(師匠の相米慎二監督)が1本だけいいと言ってくれたシナリオを来年、小説として出そうかと言われていて、いろいろ書いている最中です。

 -2001年(平13)に亡くなった相米慎二監督は、今でも足立監督の中で生きている

 足立監督 僕自身、相米さんの映画は、それほど好みではなかったんです(苦笑い)相米さんの90年の映画「東京上空いらっしゃいませ」に主演した牧瀬里穂さんが好きで、牧瀬さんのラジオを聴いた時、相米さんの話が出てきたんですが「今回の監督は、本当にメチャクチャ怖い」と言っていたんです。そういう刷り込みがあって、どんなに恐ろしい人なんだろうって思っていた。それが最初に会った時、会話なんか全然、なかったんですよ。2時間くらい一緒にいるうちに「お前、どこから来たんだ?」みたいなことをポツポツと…ほとんどが黙っている時間で、いづらくて。「月に、いくらあれば暮らせるんだ?」みたいに聞かれて「10万くらいあれば暮らせると思いますけど」って言ったら「とりあえず、それでくっついてみるか」という形で始まったんですよね。今は、本当にやさしい人だったんだろうなと思うんですよ」

 -16年は角川映画の40周年で、相米監督の「セーラー服と機関銃」のアンコール上映なども行われた。そのタイミングで監督デビュー作を公開した。相米監督は天国で、どう思って見ているのだろうか

 足立監督 う~ん…多分「お前みたいなバカが監督になるんだったら、もう日本映画界って終わってるんだろうな」みたいなふうに言っていると思いますね。ものすごく想像がつきます(笑い)僕にとっては、相米さんについていた1年は後悔…くっついたことに対する後悔じゃなくて、くっついていた時の、僕の振るまいに対しての後悔が大きいので「相米さん、僕、頑張りました」みたいなことはないんですよ。相米さんのところにいて、すごい頑張っていたんだったら、そういう報告も出来るんですけど…そうじゃなかったので、自分として報告をする感じじゃない、複雑な思いなんですよね。その思いをつなげて、いいものを作っていけたらいいですね。

 足立監督は、相米監督との出会いから紆余(うよ)曲折あった20年余りの映画人生をへて、初監督作品「14の夜」を公開し、幻冬舎から小説版も出版した。今後も脚本家に軸足を置きつつ、小説家、映画監督との顔を持った、多彩な活動を展開していきそうだ。自分の弱い部分、ダメな生き方を自覚し、再生していく市井の人々を描く物語は結婚、仕事のあり方を含めた人々のライフスタイル、社会のあり方が変容していく現代を生きる人々の背中を押す力がある。肩ひじを張らずに「今、ダメでも、前を向いて生きればいいじゃん」と…。【村上幸将】

 ◆足立紳(あだち・しん)1972年(昭47)鳥取県倉吉市生まれ。日本映画学校(現日本映画大学)卒業後、相米慎二監督に師事し、助監督を務め、脚本を書き始めた。12年の山口・周南「絆」映画祭で第一回松田優作賞を受賞した脚本を映画化した映画「百円の恋」は、東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門作品賞をはじめ国内外の各映画賞を受賞し、15年に米アカデミー賞外国語作品賞の日本代表に選ばれた。